夏休みシーズンももう終わり、台風が来まくる時期でしたね。
引きこもりにはあまり関係ないかもしれないですが、常にソワソワして大きな音とかに敏感になってしまっているので、雷とその直後に唸る消防車の音とかにパニックになりそうになったりしていました。
本当に勘弁してほしい。
そんな中でも今月はなんとか映画館に出掛けにいくことはなんとかできました。
人が多い場所ではあるので午前中に出て人が多過ぎないうちに家に帰るという形で、恋人に同伴してもらいながらなんとか成功。
映画館はリラックスができるので、暗くて大きな音でも映画自体に集中してしまえばパニックにはならないです。私の場合は。
でもこうやって外に出られたのは映画自体への関心があってこそなので本当に感謝しています。全ての映画制作者に。
そして今回家から出られたきっかけとしても安部公房の作品が映画化されるという喜びもあったので、安部公房にも感謝しています。
生誕100年、おめでとうございます。
そんなわけで今月はサブスクではなく映画館で見れた作品が一つだけある。嬉しいことです。
そしてその映画めがけて見たい作品や読み返したい作品を掘り起こしたりする喜びもありました。
とてもいいことだと思う。あとは外に出てちゃんと人と接することができれば。
映画『黒猫・白猫』 監督:エミールクストリッツァ

パーティーのようなオーケストラが爆音で鳴りながら送られる、行き当たりばったりなとびきりの喜劇。
『アンダーグラウンド』では政治的な悲劇を喜劇のように仕上げたあの哀愁と笑いが魅力だったけれど、こっちは底抜けに明るい。
馬鹿馬鹿しい策略は馬鹿馬鹿しいほど大失敗して、けれどそこに転がり込んでくる幸せは馬鹿馬鹿しいほどに眩しい。
こち亀のあのBGMや、吉本新喜劇のテーマソングなどを思い出すような、はちゃめちゃだけどあったかい安心感が爆音で並走してくれる楽しさが常にあった。
映画『カラマリ・ユニオン』 監督:アキカウリスマキ

15人のフランクたちが理想の居場所を求めて彷徨い続ける不条理映画。
おそらく今まで見た中だと「退屈な映画の中で最も面白い映画」みたいな変なポジションになりそう。
ユニオンとは名ばかりでそれぞれのフランクはあっけなく死んだり離脱していくし、そのくせ音楽の使われ方はまるで名シーンを見せているような演出でそれも笑ってしまう。
フランクが多くて、とても長いコント。好きでした。
書籍『論理哲学論考』 著:ウィトゲンシュタイン

久しぶりに再読。
以前は電子で読んだが、手元でパッと読み返せるように文庫を購入した。
付箋を貼った場所がKindleでのライン引きとだいぶ被っていて、自分の関心が変わらない場所にあるのか、進歩がないのかむず痒くなった。
映画『罪と罰 白夜のラスコーリニコフ』 監督:アキカウリスマキ

カウリスマキが映画化しているのを知り視聴。
自分が原作で惹かれた、ジャンルを跨ぐような文学的回り道や、揺れる内省などの描写はばっさりカットされ、これ以上ないくらいに淡々と描かれていた。 原題に”白夜”と入れていることもあるし、この平坦さは意識的なものなのかもしれないが、あまりハマれない形になってしまった落胆が大きい。
けれども、無表情の顔をドアップで映しながらの対話シーンはかっこいい撮り方だなと思ったり、映画的な魅力も感じることができたので、カウリスマキの他作品をみてチューニングができてからまたもう一度視聴したい。
原作を頑張ってなんとか読んだ時の記事はこちらです。
映画『アリゾナ・ドリーム』 監督:エミールクストリッツァ

若いジョニーデップを『ギルバートグレイプ』ぶりに見たけど、やっぱりカッコ良すぎる。あの作品は暗い主人公でもドライなユーモアがあったけれど、本作ではさっぱりとながらもウェットな印象。 牛乳まみれで冷静にシリアルを食べるシーンとかはまさにクストリッツァらしいギャグの画で好きだったけれども、全体的にはどういったテンションで見ればいいのか見定め切ることができないまま見終わってしまったので、少し不完全燃焼感がある。 相変わらずのドタバタっぷりだったけれども、監督の他作品に比べてそれぞれの登場人物にもう少し愛嬌が欲しくなってしまった。
昔の映画でよく置かれている、ヒステリックでひたすら展開を乱す為の女性役って見ていてヒヤヒヤしたりイライラするから苦手だ。 でもきっと性別の問題とかじゃないから、自分は寅さんとか金八先生も多分苦手なキャラクターだろうなと観ていないながらに思う。
映画『デッドマン』 監督/脚本:ジムジャームッシュ

ニールヤングのギターがひたすらにかっこいい。何事かと思うくらいに。
どうやら映画に合わせて即興演奏したものを使用しているらしい。
序盤の西部劇的な絵に合わさる音楽ももちろんいいのだけれど、中盤の逃亡劇、終盤のスピリチュアルにも変わらず歪んだギターを鳴らしている(しかもそれが各パートでもハマっている)のが痺れた。
監督の作品といえば会話劇のイメージがあったが、音楽の使い方だけで一本丸々見せられてしまったような気がして悔しくなる。
なんというか「面白い映画」とか「良い映画」というよりも「カッコイイ映画」として抜群でした。
のちにニールヤングのサントラを聴きまくりました。かっこい〜〜〜!!
映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』 監督/脚本:ジムジャームッシュ

ウィノナライダーってこんなに可愛かったのかとビビった。 『コーヒー&シガレッツ』が好きなので、それと同じような系譜で楽しめたけれど、コーキーが魅力的すぎてそれ以降のパートではハードルを越えられなかった印象がある。 ただなんでもない退屈なおしゃべりを映画として成立させ続けているのは本当にかっこいい。
映画『逆噴射家族』 監督:石井岳龍

「家」を巡って家族が翻弄され、破壊されていく様をパワフルなコメディとして描く。
居場所への執着から殺し合い、そして居場所の破壊で締める。
馬鹿馬鹿しさと演技の振り切り方が気持ちいいバカ映画。
それなのにオープニングやエンディングの演出が音楽がやけにかっこいい。
ラストの崩壊シーンは清々しくて声を出して笑ってしまった。
映画『高校大パニック』 監督:石井岳龍

受験戦争のストレスから銃による暴力に走る若者。
バイオレンス映画としての興奮はあるものの、そこまでハマれず。
映画『爆裂都市』 監督:石井岳龍

突発的衝動を書き出すのが美味い監督かと思いきや、正気の本領は燃え尽きるほどの衝動だった。
スラム街を満たすのは某寮と音楽。ただひたすらにそれだけ。
町田康が出ているのもテンションが上がった。
映画『ユメノ銀河』 監督:石井岳龍

ここまで激しい衝動を描く作品ばかりだったが、一転してとても静かだけれど緊張感があるモノクロ映画に。
夢野久作を原作にしているが、だいぶ石井岳龍的なヒリヒリした感覚に変換されていて、それはそれで見応えがある映画になっている気がする。
浅野忠信が持つ空気が全てを成立させているような頼もしさもあった。
映画『シャニダールの花』 監督:石井岳龍

稀に女性に芽吹く花を摘む仕事というあまり新鮮味のないSF設定だけれど、文学的な余白やシーンの写し方が綺麗で思ったより見入ってしまった。
他作品同様に綾野剛と黒木華の色っぽさが成立させているところもあるが、それがメインの作品でもあるような気もするので、そこは変に気になることなく見ることができた。
初期の衝動的なコメディよりもこういったタッチの作品の方が好みだな。
映画『ソレダケ』 監督:石井岳龍

爆音のブッチャーズ!汗だくで逃げ回る染谷将太!始まりの数十秒で心を鷲掴みにされてしまった。
ただ本当にそこがピークで、そこ以降は良くも悪くも茶番劇が痛快に突き進んでいく。
銃撃戦のダサカッコ良さはブッチャーズあってのバランス。
戸籍を持たない生きた死人が、戸籍を手にいれ生き返ろうとするという思弁的な前提が安部公房の『壁』を彷彿とさせる。
ドラマ『デアデビル』シーズン1 制作指揮:スティーブンSデナイト 他

MCU疲れがあった中で、後追いでMCUに入った本作は他作品との繋がりが変に構想されていないのですごく観やすかった。
『ザ・バットマン』を彷彿とさせるような、仄暗い中での肉弾戦がかっこいい。
キングピンの掘り下げだったり、大学時代の二人のシーンを丁寧に描いて関係性を見せてきたり、丁寧な作りと渋い戦闘がとても好きだった。
音楽『jupiter』 BUMP OF CHICKEN

バンプの『jupiter』だけを只々一週間聴き続けました。 正直全然通ってこなかったので、なんとなくしか知らなかった王道バンドをひたすら聴き続けたら、普通に無茶苦茶好きになりました。 こういうすでに超人気な音楽ってわざわざ腰を据えて聴くなんて事あまりないので良かったです。 一年越し企画。
映画『壁あつき部屋』 監督:小林正樹

安部公房が脚本を担当したという事で視聴。戦犯として囚われた監獄から、復讐の為に故郷へと向かう。戦争犯罪者という存在へのふんわりとした認識が引き締められたが、どうやら同じような人たちがまだ収監されているような時代に作成されたと知り驚いた。
映画『砂の女』 監督:勅使河原宏

安部公房が原作と脚本を担当した作品。
砂という流動的な迷宮を、主人公の思弁、そして女との対話と共に描いていく原作が、映像に起こされることで砂という存在が圧倒的物質として浮き上がらされていた。水のように流れる砂、皮膚にまとわりつく異物の砂、岸壁のように立ちはだかり埋め尽くす砂…そしてその巣で男を絡みとる女との朧げな対話。
モノクロの映像は砂を水面のように象りながらも、その渇きを同時に画面に見せていた。
終盤、海を見るシーンと貯水装置を眺めるシーン。砂の中に浮かぶ水の対比が素晴らしかった。
また音楽もピンポイントな使用以外では砂吹雪のノイズが吹き荒れるばかり。
ここまで映像としての美も持ちながらこの小説が映画化されていたことに感動。
小説『砂の女』 作:安部公房

映画に合わせて再読。 1/8mmの鉱石の集合が、主人公を閉じ込め、底なし沼のように引き摺り込んでいく。
集落の社会的な力に一粒の男が何もできずにいるように、次第にその砂丘の中に外よりも関心のあるものを見出していくグラデーションがじわじわと炙り出されていく奇妙さがやはり魅力的だ。
名前や肩書の喪失による解放と失踪を多く描いている安部公房だが、本作はモチーフの砂が文字通りそれらを覆い隠してしまう。
砂の上に置かれたコルクはただ沈むばかりという冒頭が体現していくのがホラーでもあり、ミステリーでもある。
映画『他人の顔』 監督:勅使河原宏

非常にアンバランスな物語構成だった原作小説から、映画では常識的な時間配分に一転。主人公の書記という設定も廃止して、代わりに医師との対話で内省を語らせるという演出上の改変が映画としての観やすさに大きく貢献していた。
この采配を安部公房自身がしているということは、同時に小説ではなるべくしてあのアンバランスな描き方をしているということも理解できた。
オープニング映像から、冒頭の精巧な顔のマスクをつけるシーン、そして最後の失踪までずっと美術/演出が決まっていてカッコよかったことと、そのマスクを越しの程での演技で魅せてくれた仲代達矢に痺れた。
小説『他人の顔』 作:安部公房

映画の視聴に合わせて再読。
あらすじを辿るには長すぎる前置き、そして仮面の作成に異様なほどの研究と素材実験を経てドキュメンタリータッチな臨場感が溢れている。
肝心の妻の誘惑からの顛末は驚くほど呆気ない。
けれども読み切った時、その顛末の時点から書き上げられているこの書記は、現在目の当たりにしている崩壊への助走として仕立て上げられているということに気付かされる。
大江健三郎の解説もとても良かった。
映画への言及もあったので、いいタイミングに再読できた。
小説『箱男』 作:安部公房

映画が待ちきれずに再読。
偽医者が手にしていたのは「充実した独房」としての日々。
"ぼく"が手にしていたのは、名や役職を全てを段ボール箱で覆い被して、他者を一方的に観察し続けるの「欠乏した自由」だった。
対立する"人間の本能的な居場所"がせめぎ合う名作。
映画『箱男』 監督:石井岳龍

映像に起こされる事で分かる、箱男が街で佇む姿の異様さと、動き回る時の滑稽さ。
箱の作成や内部の描写はカットして、徘徊シーンではバトルを入れるという冒頭からのエンタメっぷりに痺れた。(あの原作にエンタメ要素を入れられることが凄い)
二人とも箱を被りながらの演技なのに、永瀬正敏の狂気的なシリアスさと、浅野忠信の喜劇的なシリアスさがひしひしと伝わる。
そしてそれに反して外側から見た時の間抜けさがコメディのようにも見えてしまうのが心地よかった。
ラストの演出があまりにもわかりきった事をあからさまに明言するので苦笑してしまったけれど、そのわざとらしさこそがこの作品をギャグとシリアスの両輪で支えているのかもしれない。
作中の音楽やオープニングは勅使河原作品へのリスペクトも感じられるカッコよさで良かった。
原作はそもそも映像で成立しないようなレトリックで構成されているので、別物になるのは当然と思っていたけれど、原作の映像化可能な部分を可能な限り書き起こそうとしながら、娯楽作として自立させようとしている試みに敬意を表したい。
小説『カンガルー・ノート』 作:安部公房

安部公房が最後に完成させた長編。
夢幻の冥界めぐりのような世界は、町田康の超大作を思わせるようなカオスさ。
彼の単純な文章の上手さだけでぐんぐん読まされる小気味の良さが常にあった。
ベッドを終の住処として死の夢をコメディのように徘徊する果てには、自己の迷宮として描かれた箱。
遺作にして死の無意味さと自己の無限性を描き切ったことに震える。
映画『サカサマのパテマ』 監督:吉浦康裕

主人公とヒロインの出会いたての時の距離感が”アニメ”すぎるというか、童貞っぽすぎてあまり序盤は入り込めなかった。
オーウェル的なディストピア表現のチープすぎるのも気になったが、二人で重力を分散して飛ぶシーンからはアニメーション的な魅力があった。
大きな舞台装置を動かすためか記号的な登場人物が多かったが、その分設定の面白さは楽しめた。
映画『ベイビーわるきゅーれ』 監督/脚本:阪元裕吾

アクションシーンの緊張感と会話のシーンの脱力感の緩急が抜群で気持ちいい映画だった。
つまんないギャグも会話の空気感の延長としてリアルな既視感になっているのが良いし、フィクション部分のフィクションっぷりも潔かった。
ネットで使い果たされた出涸らしみたいなユーモアの連続だけど、それがストレスにならない軽さとテンポで捨てるように展開していく。
痛快なエンタメだけど二人の関係を軸に話が転がるのも素敵。
映画『ベイビーわるきゅーれ2ベイビー』 監督/脚本:阪元裕吾

一作目を優に超える格闘シーンの満足感と演出でビビった。
ダブル主人公的な構図で展開された分、前作での敵が噛ませっぽい退屈さが無くなって、さらに質の高い最高のジャンクフードとしてかぶりつけるような映画になっていた。
二人の友達同士の会話感が完全に癖になってきたので三作目も楽しみ。
批評誌『日本近代美術史論』 著:高階秀爾

洋画が入ってきた中での日本画家の動きや、それに伴う評価のされ方を高橋由一から系譜的に展開されていき読むのが楽しかった。
それぞれの作家がどんな時代背景でどういった形で評価されていったのか、洋画やそれらの作家にどういった形で出会い、どういった形で作風に影響を受けていったのか。
日本の近代作品は現代の自分がいるコミュニティではあまりその辺りの実感を得られないことも多いので学びが多かった。
映画『カモン カモン』 監督/脚本:マイクミルズ

街を集音するシーンが、色の無い画面でなり続けるなんでもない生活音や会話に意識を運ばせてくれる。
現代の綺麗な画質で撮影されたモノクロ映画を見るのは初めてかもしれれない。
こんなにモノクロであることが作品の良さに直結している映画があるのかと感動した。
子供の”たわごと”が映画の中心にあるのがこんなに心地いいとは思わなかった。
感情的だが冷めた大人と抑圧的だがませた子供。映画ではよくある組み合わせだが、丁寧な対話シーンがそれを深めていく。
作中で引用される「なぜ物事を明るく無垢するのが母親の役割なのか」という一節が忘れられない。
その重荷が少しでも多くに伝播して、母親に限らず誰か一人の負担にならないような関係性がどこにでも生まれるように、対話をし続けるべきだと思えた。
映画『aftersun/アフターサン』 監督/脚本:シャーロットウェルズ

娘は父の見せる側面しか知る事が出来ない。
そして父親は娘に見せたくない側面を自身が抱えていることを知っている。
親子のなんでもないノスタルジーな映像がシンプルに眩しい映画だけれど、そのやり取りの節々で確実に匂う家族関係の溝が哀愁を感じさせる。
同時に娘の自身への気付きも描くことで親子から自立した個人としても距離が生まれていく予兆を感じさせるのが巧かった。
大きなドラマはないし、ぶつかり合う吐露もない。
互いの距離を測りあいながら、少しずつゆっくりゆっくりと時間をかけてお別れをするような作品だった。
映画『96時間』 監督:ピエールモレル

愛する娘のために元CIAのお父さんが走る、殴る、蹴る!
それ以上でも以下でもないけれど、シンプルにアクションを楽しめる映画。
人身売買の怖さにリアリティを感じられない国で生きてきたので、余計に怖く感じる。
映画『96時間 リベンジ』 監督:オリヴィエメガトン

目隠し状態でも移動音を全て記憶して現在地を把握しようとするシーンが無茶苦茶かっこいい。
ひたすら優秀な主人公が無双する前作よりも情報を元に遠隔支持で活躍する今作の方が自分は好みだった。
誘拐経験者というだけあってか娘があまりにも逞しすぎる。
そしてお父さんも「さっき一人撃ったから逃げるぞ」と思い切りが良すぎ。
彼がもはや危険人物に等しいくらいの勢いで走り抜けていくのが楽しくなってきた。
映画『96時間 レクイエム』 監督:オリヴィエメガトン

無双パパ完結。より派手になることで、よりストーリーがスカスカになるというアクション映画の醍醐味が発生していた。
近接格闘などのカッコイイシーンはほとんどなくなり、ドンパチや爆発が増えまくっていた。
戦闘シーンを増やすためにお父さんはどんどん敵を増やし、わざわざ戦わないといけない状況を作りまくるので、退屈が一周回ったあたりから面白くなってくる。
狂人を主人公としたストーリーとしてみれば腑に落ちる映画。
小説『水中都市・デンドロカカリヤ』 作:安部公房

他の長編作品の習作的なポジションの短編から、逆に長編では見られない寓話的な話、そして表題作でもある「デンドロカカリア」では安部公房が繰り返し描き続けた変身する男の話まで読める。
失踪三部作の間に描かれた作品が多く、『壁』や『R62号の発明』の頃とはまたイメージがガラッと変わる気がした。
安部公房の短編を読むとカフカをまた読み返したくなる。
まとめ
8月後半は合わせて33作品。
映画を見るにあたって原作を読み返したりもした。
この時期に見た作品で特に好きだったのはこちら
・映画『カラマリ・ユニオン』 アキカウリスマキ
・書籍『論理哲学論考』 ウィトゲンシュタイン
・映画『デッドマン』 ジムジャームッシュ
・映画『他人の顔』 勅使河原宏
・小説『カンガルー・ノート』 安部公房
・映画『ベイビーわるきゅーれ』 阪元裕吾
・映画『カモン カモン』 マイクミルズ
・映画『aftersun/アフターサン』 シャーロットウェルズ
やはり安部公房作品の映画を見れたのが大きい。
映画きっかけで原作を久しぶりにまた読んだけれど、いい意味でどの作品も別の良さがあったので両方超楽しかった。
『論理哲学論考』も電子書籍ではなく文庫本で手にしたのに合わせて再読。
いろんな作品を知りたくてどんどん次の本へと手が伸びてしまうけれど、こうやってじっくり再読するのもいいものだなと思えた。
先月見た『こちらあみ子』はサウンドトラックも本当に良かったのだけれど、今月は『デッドマン』のサウンドトラックを聴きまくったりもした。
こうやってメディアを横断した楽しみがあると嬉しくなりますね。
楽しみにしていた安部公房の『箱男』は割とギャグっぽいところも多かった反面、この機に見てみた勅使河原作品の映画は2作ともとんでもなくかっこよくて感動した。
正直こういったシリアスさを期待していた側面もあるが、安部公房本人が「娯楽にしてくれ」と監督に頼んでいたらしいので、これはこれで良かったのかもしれない。
また自分の好みの範囲で言えば『カモン カモン』と『アフターサン』がドンピシャで好みでした。
こういった会話や行動の機微を捉えた映像ややり取りが続く映画、大好きです。
そして娯楽作では『ベイビーわるきゅーれ』シリーズ。
話題になっているのは知っていたけれど、やっと見ました。
伊澤彩織さんの顔がシンプルに好きです。アクションも超かっこいい。
そんなこんなで真面目な作品からふざけた作品まで今月は色々と見ることができて良かったです。
あとは動悸や眩暈もなく外出が出来れば良いんですが………
生きるぜ。



