思弁徒歩紀行

[#04]退屈だった街(名古屋)を歩く -思弁徒歩紀行-

2025年4月9日

長距離バスの良いところは、パーキングエリアに寄れるところにもある。

パーキングエリアにはだいたい変なものが売っている。
パーキングエリアじゃなければ絶対に買わないものが、なぜか堂々と売られているのがなんだか憎たらしくて良い。

意味も無く店内を徘徊していると、パンコーナーがある。

メガメロンパン 680円 メガクロワッサン 900円

ただただデカいだけのメロンパンとクロワッサンがちょっとした定食くらいの値段で売られている。

ああ、私はいまパーキングエリアにいる。

噛みしめるようにしょうもないパンを眺め、買わずに店を出てバスに戻る。

京都から名古屋に帰るにはバスを使うのが一番楽だ。
意外にも四時間程度で着くし、電車のように乗り換えなどが必要ないので、実家に帰省する時はいつもバスを使う。
今回は恋人と一緒に、結婚前に改めて両親に顔を見せに行くためのちょっとした帰省だった。
実家に到着したら一通り挨拶をしたりのんびりしたりして、数日名古屋をぷらぷらして過ごすだけの余白まみれの小旅行だ。

名古屋の町はどこも全体的に雑さが目立つ。
小中学生時代に過ごしていた時の実感としては「人生において長期滞在するメリットが特にない場所」という土地だった。
不便はしない便利さはあるが、名古屋でなければならない強みは時になく、なにもかもが中途半端で退屈な土地だった。 転勤族だった私にとっては別にふるさとというわけでもなく、「京都の次に長く住んでいた場所」「実家がある場所」くらいの感覚だ。

久々に町を歩くと近所も様変わりしている。
コンビニとコインランドリーが潰れて、二軒分の土地をつかったデカいコンビニが出来たりしている。
ただの駐車場に二世帯住宅が建ったり、団地だった場所に大学の新キャンパスができあがったりと、思った以上に風景が変わっていて少しうろたえるくらいだった。

近所にある名城公園には飲食店が並ぶようになり、大きな体育館も新しく建てたりしている。
ジョギングしているおじさんがたくさん居るだけの公園だったが、いまではちょっと洒落た空気さえある。

名古屋城の堀をまわりを歩いて町にむかっていると、大きな城を模した巨大なホテルが建てられていた。
相当階層が高く、石垣を模した層にも客室の窓がびっしり並んでいた。
城を模したホテルに泊まりたいかどうかはさておき、仮に泊まるとなったときに石垣のそうだったらちょっと凹むなと思った。

歩き進めると、だんだん町は味を増していき、大量のアンテナを生やしているヤバめの民家や、ビルがすべてピンクに塗られているおかげで勝手口が“どこでもドア”みたいになってしまっているビルに遭遇し出す。
いったいどんな事業をやっていたら自身のビルをすべてピンクに塗りたくなるのだろうか。とびきりスケベな事業なのだろうか、はたまたとびきりお堅い仕事の反動か。どちらにしても嫌である。

歩いていると、名古屋の片隅にある円頓寺商店街というエリアにたどり着いた。

歴史ある商店街ながらに芸術祭と連携したり、新しい店舗やスペースが参入したりと活気づいた場所だ。
できたての綺麗な喫茶店から古びた八百屋まである商店街は、そのちぐはぐな緩急が歩いていて心地よかったりする。

横をみれば年期の入った骨董屋が、古いポスターや看板などを売っている。
こういったレトロ趣味は一定層からの人気が根強い。がちゃがちゃと商品であふれた外観もわくわくする。
店名が気になり看板に目を上げると「零屋」と渋い看板がでていた。
そしてその上に鉄の大蜘蛛がいた。

「メタルスパイダーオブジェ 運賃込み9万円」

メタルスパイダーオブジェが運賃込み9万円?

お安いですよと言いたげな赤い太字で書かれたキャプションは、こっちが不安になるくらいに堂々としている。
お安いのだろうか。メタルスパイダーオブジェの相場がわからない。
そもそもほとんど店の外観を担っているこのメタルスパイダーをどこかに売ってしまっても良いのかとも思う。
きっと「零屋」という店名よりもメタルスパイダーでこの店を覚えている人の方が多いのではないだろうか。
かに道楽のかにオブジェに値札が付いてるようなものだ。あれが売りに出されていても困るだろう。

こういった変な物が当たり前の風景になってしまっているのも商店街の醍醐味なのかもしれない。
ともかく、散歩を習慣にし始めた今の私は、退屈で仕方なかった名古屋の町もすこしはおもしろおかしく歩けるようになっていた。

商店街のアーケードを抜ける頃、また京都に帰って散歩をするのが楽しみになってきている。

顔を上げると、漢方屋の大きな看板が一つ。

「健康づくり してますね」

圧をかけるなよ。圧を。
してますか?という問いかけじゃないのか。

しかし今の私はスーパーお散歩ウォーカー。町の退屈さは歩き手の技量で決まる。
「健康づくりしてますとも」と胸を張って歩くことが出来るのは、私が散歩を歩き、散歩に歩かされるおかげなのだ。

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