映画

言葉にすることで"本当になること"と"嘘になること"-『永い言い訳』監督:西川美和 について-

2022年12月24日

私は洋画も邦画も特に気にせず見るタイプなのだが、邦画の中で一番好きな映画を挙げろと言われたら迷わずこの作品を挙げるだろう。

どうしようもない自意識と自尊心のおかげで、後悔を生んでしまったことがある人は、この映画にきっと心が抉り取られてしまうと思う。

主演は本木雅弘。そしてそれに引けを取らない助演、竹原ピストルの演技は是非見てほしい。
モッくんは伊右衛門のCMの人、竹原ピストルは「ヨォ!そこのワけぇの!」とCMで歌ってた人。そんな印象で本作品を見たら度肝を抜かれると思う。

監督は西川美和。
『万引き家族』や『そして父になる』で有名な是枝裕和監督との交友も有名な彼女だが、是枝作品が好きな人には特にハマるのではないだろうか。

私が邦画で好きな作品は、どれも"人間"の描写が突き刺さったものが多い。

主人公の幸夫が作中で手にしているものと失ったものは、我々にとっては遠いものに感じるかもしれない。
けれど、自尊心と自己嫌悪の両方を大事に抱え、他人の愛情に甘えながら蔑ろにする、そんな彼のどうしようもなさは、皆が知らずに犯してしまう罪ではないだろうか。

伏線やシナリオ展開に仕掛けがある作品とかではないのだが、以下からは「あらすじ」「すゝめ」「レビュー」に分けていくので、気になる方は具体的な内容に触れていく「レビュー」を飛ばし、是非作品を見た後にまたこのページへ再訪していただけると嬉しい。

あらすじ

妻を亡くした男と、母を亡くした子供たち。
その不思議な出会いから、 「あたらしい家族」の物語が動きはじめる。

人気作家の津村啓こと衣笠幸夫(きぬがささちお)は、妻が旅先で不慮の事故に遭い、親友とともに亡くなったと知らせを受ける。
その時不倫相手と密会していた幸夫は、世間に対して悲劇の主人公を装うことしかできない。
そんなある日、妻の親友の遺族―トラック運転手の夫・陽一とその子供たちに出会った幸夫は、ふとした思いつきから幼い彼らの世話を買って出る。
保育園に通う灯(あかり)と、妹の世話のため中学受験を諦めようとしていた兄の真平。
子どもを持たない幸夫は、誰かのために生きる幸せを初めて知り、虚しかった毎日が輝き出すのだが・・・。

ひとを愛することの「素晴らしさと歯がゆさ」を描ききった。
観る者すべての感情をかきみだす、かつてないラブストーリー。

https://filmarks.com/movies/63547

引用させていただいた通り、主人公 幸夫(本木雅弘)は小説家として登場する。
クイズ番組にも呼ばれるバラエティ的な人気も獲得した容姿端麗な彼は、美容師の妻 夏子(深津絵里)を持ちながら愛人がいる。

当然妻との関係はすでに冷め切っていて、愛人との恋愛ごっこにうつつを抜かしている最中、突然妻はバスの事故で亡くなってしまう。
愛情を忘れきったような関係だったというのに、物書きの彼は皆が涙を啜るような追悼文を書き、カメラに撮られながら弔う素振りをするのだ。

そんな中、夏子の親友の夫であり、同じ事故の遺族である陽一(竹原ピストル)は、幸夫に対し"同じ痛みを抱えるもの同士"として交友を始める。
幸夫は、陽一と共に残された二人の子供の世話を手伝うことにする。

妻を亡くしてから一度も涙を流せていない自分がいながらも、子供達と触れ合うことで心が洗われていく幸夫。
仮初めの家族愛を手にした彼は、少しずつ自分が何を失ったのか直面していく。

予告編

すゝめ

出ている役者の演技が揃ってめたくそに良い。俳優陣を見れば「んなもん当たり前だろう偉そうに」と怒られそうなのだが、嬉しいことだ。

主演の本木雅弘は、『寿司食いねェ!』でお馴染み元シブがき隊で、俳優としては『おくりびと』で大成功を収めた。
アイドルとして人気を獲得し、俳優業も大きな評価を得ている。立派なスタート言えるだろう。
だというのに、彼のインタビューなどを見てみると、「自分は何も持っていない」「見せられるものなんてない」「自分自身がニセモノに感じる」といったような卑屈な発言が多く見られる。

彼は自分自身を"常に不満足で自意識過剰な性格"だと言う。
そういった人間的な一面を西川監督は本木雅弘の中に見出し、主人公 衣笠幸夫に重ねたのだろう。

枯れかけた才能に向き合わず、不貞を働き、妻を蔑ろにする。
だと言うのに陽一をどこかで見下し、子供への愛情ですぐに"立派な大人"になった気になってしまう。
そんな多くの欠点を持つ主人公 幸夫なのに、なぜか他人に思えない愛嬌がある。

こうするべきだという"正しい感情"がありながら、甘えるようにダメな自分へ舞い戻ってしまう。
正しさや愛情に向き合うということは、その言葉の単純さに反してひどく恐ろしく難しいことだ。

言葉は、嘯くことでダメな自分に居場所を与え続けることもできるし、噛み締めて伝える事で自分を次の場所へ引き寄せることもできる。

物書きである主人公は、きっと自分から生まれる言葉の何が本当で嘘なのか、自分でもわからなくなっているだろう。
でもきっと私たちも同じようなことがある。

是非作品を見て、醜くもがく主人公 幸夫に自分を探してみて欲しい。

レビュー【ネタバレあり】

ここからは具体的なシーンなどに触れていきます。
作品をまだ見ていない方にはおすすめしません。

この作品を見てまず衝撃だったのは、冒頭の数分での会話である。

主人公 幸夫が、妻 夏子に髪を切ってもらいながら、自身の本名に対するコンプレックスを露わにするシーンだ。

このくだりで、主人公の社会的なポジション、性格、妻との関係性が全て読み取ることができる。

妻との何気ないやり取りや、垣間見える素敵な思い出などをチラつかせるなどのよくある演出や展開は一切ない。
いかに主人公が「愛情」というものと向き合わず、その視野に捉えられていないかがその空白に描かれている。

告別式の後のシーンでも、幸夫は車に乗り込むや否や、神妙な面持ちから前髪を気にする何気ない表情へと解ける。

そんな幸夫だが、子供たちの面倒を見るようになってから、あからさまに心に余裕が見えてくる。
陽一に頼られ、子供たちに信頼され、疑似家族としての愛情を知った。

「子供は免罪符ですからね」

マネージャー(池松壮亮)から言われた彼は、自分の中に見つけた「愛情」が本物であるのかわからなくなっただろう。

きっと彼が子供達を愛せるのは、子供達が彼に(信頼という)愛情をくれたからだろう。

彼は妻からの愛情を探し回る。
けれど遺品の携帯電話にから見つけた妻の言葉は「もう愛していない。ひとかけらも。」だった。

妻と向き合い、愛することから逃げて、逃げ切ってしまった彼は、もう妻から愛されることはない。

「あんたの死は暴力だ!」

そう喚いた幸夫は、自分を取り繕うことが出来てしまうからこそ、他人の感情へも疑いを持ち、ビクビクと怯えながら自分を守る言葉を重ねていく。

それに対し、切実に妻への愛情と向き合い、その不在に傷つき「戻ってきてほしい」と言葉にする陽一は、幸夫にとっては妬ましいほど"正しい存在"だ。

幸夫は疑似家族に介入してきた学芸員の存在に嫉妬し、自分が手に入れた「愛情」が茶番だとまた嘯く。
きっと彼にとって、かつて見下していた陽一は見上げるほど正しく、自分は醜く正しくないものに映っただろう。

そんな"正しい"陽一だが、嘘で自分を守らずに傷付く覚悟をするということは、傷に耐えられることと同義ではない。
彼の犯した自殺未遂(とも取れる行為)をきっかけに幸夫は、初めて自分の傷を言葉にする。

「自分のことを大切に思ってくれる人を簡単に手放しちゃいけない。見くびったり、貶めたりしちゃいけない。そうしないと僕みたいに愛して良い人が誰もいない人生になる」

誰か愛する権利があるというのは尊いものだ。

そんなことをゆっくりと丁寧に実感させてくれる。そんな映画だ。

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