映画

何も選べない彼女たちは、その目に焼き付けることを選ぶ-『燃ゆる女の肖像』監督:セリーヌシアマ について-

2023年2月17日

私は恋愛映画をあまり見ない。

これは完全に私の趣向と性格の問題なのだけど、名作と謳われていた『ラブ・アクチュアリー』を見て、「こんな感じか」と満足してしまった節はある。

世にはいろいろな恋愛映画はあると気づいたのはそれから随分時間が経ってからだ。

本作は、肖像画家とそのモデルの令嬢の女性同士の恋愛を描いた映画になる。

お見合いが決まっている令嬢と、そのお見合いのための肖像画を描く画家が、どんどん互いを理解していき、惹かれあっていく。
しかし二人を繋ぐその肖像画の完成は、二人の別れを意味する。

時代背景は18世紀のフランス。

令嬢のエロイーズは結婚を望んでいないが、立場上お見合いをして結婚をしなければならない。
画家のマリアンヌは、女性名である自身の名前ではなく、父の名前で作品を発表しなければならない。
そして彼女たちと日々を共にするメイドのソフィは、妊娠しても子を育てられず堕さざるを得ない。

人生を選ぶ権利を持つことが出来なかった女性たちが送った刹那の友情と愛情を、その目に焼き付けんとする姿に思わず震えてしまう。

舞台となる殺風景な孤島に立つ二人を映す映像美、静けさ、そしてその中で確かに刻まれる二人の約束を是非見て欲しい。

あらすじ

18世紀フランスを舞台に、望まぬ結婚を控える貴族の娘と彼女の肖像を描く女性画家の鮮烈な恋を描き、2019年・第72回カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィアパルム賞を受賞したラブストーリー。

画家のマリアンヌはブルターニュの貴婦人から娘エロイーズの見合いのための肖像画を依頼され、孤島に建つ屋敷を訪れる。エロイーズは結婚を嫌がっているため、マリアンヌは正体を隠して彼女に近づき密かに肖像画を完成させるが、真実を知ったエロイーズから絵の出来栄えを批判されてしまう。

描き直すと決めたマリアンヌに、エロイーズは意外にもモデルになると申し出る。

キャンパスをはさんで見つめ合い、美しい島をともに散策し、音楽や文学について語り合ううちに、激しい恋に落ちていく2人だったが……。

https://eiga.com/movie/91144/

画家のマリアンヌは、お見合いのための肖像画を任され島に呼ばれる。

前任の画家も肖像画を描こうとしたが、令嬢のエロイーズは結婚を望んでおらずモデルになりたがらなかった為、顔をうまくかけず断念してしまったようだ。

そのためマリアンヌは画家であることを隠し、付き人としてエロイーズの島内の散歩に付き添ったりしながらゆっくりと観察を重ね、彼女の肖像画の制作を進めていく。

やがて肖像画は完成し、エロイーズに正体を明かしたマリアンヌだったが、エロイーズは肖像の出来に不満を漏らす。

マリアンヌに心を許し、モデルになることを受け入れたエロイーズのために再び肖像画を描き直すマリアンヌだったが、キャンバス越しの会話を重ねるうちに次第に彼女たちは互いに惹かれあっていく。

結婚を拒む権利もなく、それを止める術もない二人は、肖像画が完成するまでの束の間の時間で愛を育んでいく。

すゝめ

本作は作中でのBGMが一切ない。

舞台となる孤島に打ち付ける波の音、吹き抜ける風の音が轟々となっている。

作中で音楽が流れるシーンを強いていえば、マリアンヌが戯れに弾くピアノ、島の祭事の歌声、コンサートの演奏くらいだろうか。

城内や海岸でほとんど話が進み、登場する場面の少なさも相まって、とても閑静な雰囲気が常に漂っている。
しかし、だからこそ彼女たちのコミュニケーションやその目線、表情がとても印象に残る。

祭事のシーンの歌声や、メインビジュアルになっているエロイーズのドレスが燃える姿などは神々しささえ感じる。

また、シナリオや音の使い方以外でも、画面の作り方に関してもこの映画はいちいち唸らせてくる。

何もない孤島の海岸、そこに立つエロイーズの緑色のドレスと、それを追うマリアンヌの赤いドレス。
城内でモデルとして佇むエロイーズ。仄灯りの元で友達のようにメイドと3人でトランプで遊ぶ様子。

それらの画面の構図や色彩が、どれもまるで絵画のように撮られている。
様々な制限やしがらみを抱える画家であるマリアンヌの(不自由な)肖像画制作。そのキャンバスの外に映る全てが、彼女たちにとっては目に焼き付けるべき、絵画には起こされない美しい時間なのだろう。

そしてこの作品は二人の会話ややり取りで交わされたキーワードやアイテムが、のちに二人だけの暗号のような秘密としてリフレインされる。
BGMのないこの描き方だからこそ、印象的に刷り込まれるそれらが持つ意味を、さらに打ちつけてくる仕組みが本当に見事な映画だった。

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レビュー【ネタバレあり】

ここからは具体的なシーンなどに触れていきます。
作品をまだ見ていない方にはおすすめしません。

この映画のスタンスが特にわかりやすいのは、メイドのソフィが子供を堕ろすシーンだ。

相手がわかっているが、メイドである自分が産んで認知してもらい育てることなどできない、という時代だ。

彼女たちだけで堕胎を遂行するが、それに至るまでの決断や実行にあたって彼女たちは現代的な悲観をあまり感じさせない。

彼女たちにとって悲しい事であるし辛い事でもあるのは間違いないだろう。
しかしそれ以上に、彼女らにとっては"この世はそういうものだ"という諦めのようなものが根底にあるような淡々とした冷静さがある。

女性しか登場しない本作だが、ソフィの妊娠という要素が入ることで突如"男性"の存在が見えてくる。
一見介入してきた"男性"が彼女たちの平穏を崩すような形に見えるが、そうではない。
エロイーズもまた結婚というものを決められ、男性の元へ嫁ぐことに人生を縛られている。
マリアンヌもまた美術界での女性の弱さに抗えず、男性である父の名を借りて作品を発表している。

"男性"という存在は、否応なく最初から彼女たちの人生を崩してしまっているのだ。

何も選ぶことが出来ない。
自分の人生も、共にいる愛する人も、何も選び取る権利を得られなかった彼女たちが、二人の日々と想いを決して忘れないと約束することだけが、その世界にできた抵抗なのだろう。

振り返ることで別れを悔やむならば、それは"本当の別れ"になってしまう。

28ページの約束。そしてコンサートのヴィヴァルディ協奏曲第2番ト短調 RV 315 [夏]。

あのエロイーズの横顔をゆっくりと拡大していくあの撮り方、そしてそのエロイーズの表情。

振り向くことなくオーケストラを目に焼き付けるエロイーズは、果たしてその場にいたマリアンヌの存在に気づいていたのだろうか。

きっとどちらにせよ彼女たちは振り返らないだろう。

振り返ることは悔やむことになる。
彼女たちは悔やむよりも、その目に焼き付けることを選んだのだ。

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