随筆

【#04】偏心 - 鬱病日誌 [名前があるなら大丈夫]

2023年1月27日

私が布団で蠢くだけの存在になった時、季節は春だったのに、気付くこともなく外は梅雨になり夏になった。

病院にいこう。

恋人がそう切り出してくれた。

随分と長いこと良くなるだろうと見守ってくれていたが、やっぱり私は普通の状態ではなくなっていた。

でも私は病院に行くのが怖かった。

もし鬱病という名前をもらったら、もう二度と元には戻れないんじゃないか。
そんな気がしていた。

名前をつけられるということは、それに"次"を与えることだ。
それは居場所を与えることにも等しい。

自分のこの状態に名前がつけば、私は安心してしまうのではないだろうか。
その名前に甘えて、何も出来ない自分を大事に抱えて、水を撒いてはスクスクと育ててしまうんじゃないだろうか。

自分は甘ったれた性格で、怠惰で、向上心がない。今はただそれが悪さをしているに違いない。
今は頭がぐちゃぐちゃで身体が動かないだけで、きっと単に自分の性格の問題で、きちんと現実や社会に向き合うことが必要なだけで、自分に必要なのは診断じゃない。だから私は早くこの甘ったれた性格からどうにかいつも通りに戻ればいいだけだ。

そんなふうに怯えていたが、しかしながらその「いつも通り」からもう半年も経ってしまっていた。

病院にいこう。

自信はないのに自尊心は一丁前で扱いにくい役立たずの私を目の前に、これまでその言葉を言わずに見守り続けてくれていた恋人には感謝しかない。
途方もないくらいの気を遣ってくれていたはずだ。本当に申し訳ない。

お金もどんどんなくなっていく。
何もしていないのにお金が減っていくのではなくて、何もしていないからお金が減っていくのだ。

早くどうか以前と同じように動けるようにならないといけない。

そうして私は付き添いの元、やっと病院に行くことができた。

しかし日中にちゃんと外に出るのは半年ぶりだった。

外は立派に生活を回す人たちで溢れている。動悸がする。
私は昔から何かの許容を超えた時、いつも気付けば張り付くような耳鳴りが始まっている。
現存する文字では書き起こせない、透明な音が耳で鳴り続けている。
目眩を起こしているのか、脳が揺れているのか分からない。

でも外には出れた。
この半年、誰もいないような深夜に、コソコソと外に出ることしかできなかったのに、病院に行くために昼間に外に出ることができた。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
私は頭の中で、悪霊を祓うために唱えるお経のように繰り返していた。

病院は思ったよりも街中にあって、こぢんまりとした場所だった。
この待合室にいる人たちは自分を含め、きっと何かがダメになってしまった人たちなのだろうか。
随分と普通に見える。それはそうか。
この待合室の外で街を歩くまだダメになっていない人たちも、毎日きっと嫌で嫌で狂いそうになっている人がほとんどでもおかしくないのに、全員揃いも揃って何でもないような顔をしている。
皆頭の中にはぶん殴ってやりたい人が一人くらいはいるはずだ。
なのに街の人は誰一人だって「あいつだけはぜってーぶん殴ってやる」なんて顔はしていない。
みんなギリギリなのか。自分もずいぶん前からギリギリだったのかもしれないな。

そんな頃に名前を呼ばれた。

担当してくれた先生は、あまり重々しく話を聞くタイプではなく、さっぱりと、しかししっかりと事情を聞いてくれる方だった。
私なんかよりもっと酷い病状の人もいるというのに、身に余るほど同情的に話を聞かれるのではないだろうか、という意味の分からない不安があったが、そんなものは綺麗に無くなった。
そして現状のことを伝えると、鬱だとそういうことはよくありますよ。そうなっちゃうもんです。と言われた。
思っていたよりもずっと荷が降りた。
あんなに不安だった名前をつけられることなんて一切気にならなかった。
「あなたはぶっ壊れてはいませんよ」「たまにあるバグです」
そんな風に言ってもらえたような安心感があった。

大丈夫。治せる。戻れる。
大丈夫。まだ大丈夫。大丈夫。

病院から帰る時、そんなことを頭の中で繰り返した。

また帰り道では動悸と透明な音が耳に刺さったが、目眩は少しだけマシな気がした。

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