小説

"国語の問題"に真っ向から唾を吐く小説 -『国語入試問題必勝法』作:清水義範 について-

2023年3月8日

実家の本棚にあったその短編集を、中学生くらいの時まで私はずっと参考書か何かだと思っていた。

めちゃくちゃ間際らしい装丁をしているが、この本は実際には参考書とは程遠い、むしろ参考書に唾を吐くような作品集だった。

作者の清水義範といえば、パスティーシュ小説というジャンルで話題になった作家だ。

パスティーシュとは、創作において他社の作風を模倣することを指す言葉だ。
小説でいうパスティーシュは文体の模倣のことをいう。

清水義範の代表作『蕎麦ときしめん』に収録される作品には、司馬遼太郎風の文章で書かれる短編や、哲学書の序文風に書かれる短編、表題作の転勤族サラリーマンが書いた論文風の文章などがある。

どこかから怒られそうな、皮肉のような揚げ足取りのようなテンションで、彼の作品が意気揚々と進んでいく。
こちらを共犯関係に引き摺り込む、悪意のある誇張表現についつい笑ってしまう。

落語家の立川志の輔氏が、彼の作品『バールのようなもの』を元に創作落語を作ったりなど、そのユーモアは偏屈にも関わらず射程がある。

そんな作者が、「作者の意図を読み解き十文字程度で書きなさい」といったような問題に、作者として噛み付く作品をぜひ読んでみてほしい。

収録作品

  • 猿蟹合戦とは何か
  • 国語入試問題必勝法
  • 時代食堂の特別料理
  • 靄の中の終章
  • ブガロンチョのルノワール風マルケロ酒煮
  • いわゆるひとつのトータル的な長嶋節
  • 人間の風景

『猿蟹合戦とは何か』では、なぜ太宰治が『御伽草子』に猿蟹合戦を入れなかったのか、という考察を太宰治風の文体で書いていく短編になっている。
途中でフロイト風に展開したりしながら、猿蟹合戦は男女の諍いを描いたものではないかと飛躍させていくのが面白い。

表題作である『国語入試問題必勝法』は、国語の問題が苦手な受験生の一郎が、国語問題対策に強い家庭教師の月坂に"国語問題の必勝法"を伝授してもらう話だ。
しかし実際は必勝法を語るというよりも、国語問題の馬鹿らしさについて揚げ足を取りながら、妙に説得力がある風に国語問題の解き方(?)に屁理屈で辿り着くというものだ。

『ブガロンチョのルノワール風マルケロ酒煮』は、伊丹十三のような博識風の文体で、存在しない料理を存在しない食材で作るレポートになっている。
ブガロンチョという食材も、ルノワール風マルケロ酒煮という調理法も実在しない。ずっと嘘をついているのに、寄り道する話ばかりずっと最もらしいことをつらつら書いている。

『人間の風景』は、老人ホームのワークショップで書かれたリレー小説を読んでいくという話だ。
それぞれの老人が自分の好き勝手に小説をリレーしていくものだから、文体や趣向があっちこっちへ行って、どんどん破綻していく。

こんな具合に、この短編集はどれも無茶苦茶くだらない。しらこい嘘の話も大量に出てくる。
けれどこれらは100%の嘘っぱちだけで描かれているのではなく、20%くらいの本当を混ぜながら描かれているからタチが悪く、それのせいでついつい笑ってしまうのだ。

ロジカルな屁理屈で、それっぽい出鱈目をつらつらと書いていく。
そんな説得力があるように見える大嘘が好きな人はぜひ手に取ってみてほしい。

すゝめ

やはり表題作の『国語入試問題』で何度笑っただろうか。

私は国語の問題を解くのは苦手ではなかったけれど、「なんなんだよこの問題」と思いながら解いていたことが多かったので、この作品はブッ刺さった。

しかも面白いのが、この作品に出てくる文章問題の例文は、清水義範本人の過去作から引用しているのだ。
その過去作は『序文』という学術書の序文風に描かれた短編小説で『蕎麦ときしめん』に収録されているものだ。
元々この短編も「英語は日本語を由来に生まれた言語だという説を提唱する学術書の序文」という、馬鹿でかい出鱈目を飄々と描く作品だ。
その作品を引用して「作者は何を言おうとしているのか次の中から選べ」という問題を解こうとする。

このメタ的な構図がすでに国語問題を舐めてかかっていて面白い。

作中では問題についても、選択問題の答えは「大」「小」「展」「外」の4つに分けられることが多いと家庭教師の月坂が語る。

大は、本文の一部を一般論まで拡大しているもの。よって一般論としては正しいが、回答としては間違い。
小は、本文の一部のみを取り上げているもの。文中に書いてあることだが、本筋ではないので回答としては間違い。
展は、本文の論旨を勝手に展開させたもの。内容には沿っているが、書いていないことまで述べているので回答としては間違い。

この大きな3つがトラップとして仕掛けられているという。
そして答えとして導き出されるのは、まさかの「外」だ。

外は、ちょっとピントがずれているもの。
これが正解の回答になると豪語しているのだ。

問題文は「内容に最も近いものを一つ選べ」とあるわけで、「正しく要約しているものを選べ」ではない。
正しく要約している文章なんかを選択肢に出したら、全員が正解できてしまうから、混乱させるように国語の問題はピントをずらしてあるのだという。

めちゃくちゃだ。
でもなんだか筋が通っているような気がして笑ってしまう。

また、国語問題の制作をする奴らが共感できるのは、故郷の思いや青春の苦しみなどの心情ものばかりだから、そういったものばかり正答になる、というとんだ偏見の出鱈目まで出てきたりする。

国語の問題になんの恨みがあるんだよ、とここでも笑ってしまう。

思えば私は小学生の頃、「作中の登場人物の心境を想像して書きなさい」というプリントで正直に想像して書いたら先生に呼び出されたことがあった。
どうやら問題の意図とは違うことを乱暴に書いていたため、これは良くないと先生に思わせてしまったようだ。
親にも電話したようだった。そんなに????
きちんと本文を読んで考えたのに、なんでこんな注意をされないといけないのか…と思って膨れていた。

しかし帰宅すると、親は私の回答が書かれたプリントを見て「これ、確かにそう思うよね」と爆笑していた。
無茶苦茶安心した。
私も本を読むことは好きだけれども、国語の問題はずっと嫌いだったのかもしれない。

この本はそんな私たちのような偏屈な人のために、作者自ら「作者の意図を答えなさい」という問題文に唾を吐きかけてくれる、そんな短編集だ。

国語が嫌いだった人こそぜひ読んでみてはいかがだろうか。

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