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全ての登場人物に人生を感じる漫画 -『鋼の錬金術師』作:荒川弘 について-

2022年12月29日

伏線未回収とか付け足し設定とかせずに綺麗に完結した長期連載マンガなんてあるの?

多くの少年漫画で言われてきた言葉だろう。

しかし確実にはっきりと言えることがある。

『鋼の錬金術師』はそうである。

鋼の錬金術師は荒川弘氏による、言わずも知れた有名な漫画作品だ。
2001年8月から少年ガンガンに連載され、2010年11月まで9年にわたって続き見事に完結した。

単行本は全27巻で出ており、のちに完全版なるものが全18巻で出ている。

私は巻数の多い漫画はなかなか単行本を買う気になれず、本棚のことや引っ越しの際のことを考えるとどうにも手を出しづらい傾向がある。

作品としてもダラダラと長いものより5巻〜10巻程度で終わるコンパクトなものが好きということもあって、本棚にはそんな作品が多い。

『プラネテス』『惑星のさみだれ』『星屑ニーナ』…etc.
どれもちょうどいい長さで盛り上がり、終わっていく名作だ。

結局長い漫画では「〇〇編が一番面白かったな」とお気に入りのパートだけ大事に思い出に保管され、美化していってしまうという癖が私にはある。
そのため「面白かったけれど、全編ずっと全部面白かったかと思うとよくわからないな…」と雑念が入り人に勧めづらかったりする。

しかし『鋼の錬金術師』は、そんな私の本棚に全27巻が揃い、その上「全巻貸すから読んでくれ」と安心して勧めることができる。

そんなハガレンこと『鋼の錬金術師』は何が面白いのか?
ゆっくり振り返りながら紹介していきたいと思う。

あらすじ

錬金術が発達した近世ヨーロッパの世界。
主人公は「鋼」の二つ名を持つ錬金術師のエドワードと、鎧の身体を持つ弟のアルフォンス。

彼らは過去に、亡くした母親を生き返らせようとして、禁忌である"人体錬成"に手を出したことで、代償として身体の一部を失ってしまう。
結果的にエドワードは右腕と左脚を持っていかれ、アルフォンスは魂だけを鎧に残し、全身を持って行かれてしまった。
その代償とともに「錬金術で死んだ命は帰らない」と知った彼らは、せめて自身の身体を取り戻すために"賢者の石"を探す旅を送る。

その影には"人造人間(ホムンクルス)"と呼ばれる謎の勢力と、彼らに"お父様"と呼ばれる謎の存在。
伝説級の錬金術の増幅アイテムである"賢者の石"は一体どこにあるのか。そしてその石とはなんなのか。

軍や隣国を巻き込みながら、少しずつ見えてくるその答えが、兄弟たちを突き動かしていく。

ネタバレを避けたあらすじはこんな感じだ。

この作品は二度にわたってアニメ化しているため、2003年放送版と2009年放送版で内容が異なる。
もし原作通りのストーリーでアニメを追いたいという方は、2009年放送版の『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』を見ることをお勧めする。

すゝめ

この漫画は主人公が一話の段階からレベル100でスタートする。
すでに錬金術師としての実力を持ち、戦闘訓練などを果たし、バトルでいう「強さ」を獲得しきっている。

いわゆる修行パート(過去編では描かれる)や、能力覚醒といった少年漫画らしい分かりやすい成長を演出するシーンはほとんどない。

けれどもこの漫画の主人公は読者に確実に成長を感じさせてくれる。
それは戦闘力がいくら上がるとか新技の獲得とかでもなく、エドワードの"人間としての精神の成長"である。

若くして親を失い、手に余るほどの技術を手に入れた彼らがこの物語で目指す先は「お母さんを生き返らせる」ではない。
この世界で魔法のように使われる錬金術という技術を持ってしても、命は還らない。
その事実に向き合えずに禁忌を犯してしまった自分自身の尻拭いのために「自分たちの身体を取り戻す」ことが目的なのだ。

なぜ母の死と向き合い受け入れることができなかったのか。
なぜ錬金術でも人の命は還らないのか。
自分たちが錬金術に求める救いとはなんなのか。

そういった問いを業として背負いながら、少年だったエドワードとアルフォンスが大人になっていくのだ。

もちろん見所は主人公の兄弟だけではない。

作中最強の戦闘能力を持ち、「焔」の二つ名を持つマスタング大佐も第二の主人公と言えるだろう。

彼は部下からの信頼もあつく、いずれは国のトップを目指す腕利の軍人だ。
しかし彼は過去にその強力な錬金術を、軍によるある地域の殲滅戦で大量殺戮に使ってしまったことをずっと悔いている。

殲滅戦の生き残りであるスカーという男による復讐に向き合いながら、なぜあのような殲滅戦が起こってしまったのか、自分の錬金術はなんのためにあるのかと悩みながら、いずれは国を統べるものへと成長していく。

そしてまた、このスカーという男についても、なぜ復讐を続けなければならないのか、なぜ錬金術を憎みながら錬金術を使うのかという業を作中でも背負い続け成長していく。

この作品の魅力はまさにこのあたりだ。

それぞれの登場人物が皆、「なぜ生きるのか」という問題に対して答えを探しながら業を背負っている。
そして物語の大きな流れの中で、それぞれの答えが信念として行動理念となっていく。

突飛な行動や、飛躍的な成長などはなく、すべての人物が抱えている問題が重なりあい、それぞれの問題のために理念を持って行動をしていく。
味方陣営も敵陣営も皆その生き様がカッコよく、同時に悲哀がある。
そんな彼らが「物語を辿っていく」のではなく「物語を動かしていく」姿にきっと誰もが手に汗を握るだろう。

もちろん人物の描写以外にも、作中の設定の緻密さや、バトルのアツさ、物語に仕掛けられた大きなギミックなど、漫画として魅力的な点はたくさんある。

『鋼の錬金術師』をなんとなく知っているという状態でまだ読んだことのない人がもし居たら、これを気に一気に読んでみてほしいと思う。
きっと7巻まで読んだらもう止まらず最終巻まで駆け抜けてしまうと思う。

レビュー【ネタバレあり】

ここからは具体的なシーンに触れていきます。
作品をまだ読んでいない方にはお勧めしません。

私がハガレンで一番好きになったキャラクターはグリードだ。
序盤の強敵として登場し、その後盟友のリンの身体にうつり、また今度は味方として舞い戻ってくる。
ベタだがやっぱりこういった展開はアツい。

作中での人造人間(ホムンクルス)たちは名前にある業を抱えながら生きる、創られた存在だ。
なぜ自身が存在するか、何をすべきかは全て彼らにとっては「お父様」という存在にかかってくる。

しかしそんな中で唯一「お父様」の手中に収まらなかったのが"強欲"を背負うグリードだ。

彼は奔放に生き、部下を引き連れ、お父様の計画とは離れた生活を送っていたが、同胞である"憤怒"にあっさりやられてしまった。
のちにリンの身体で復活した後、彼が記憶を取り戻すきっかけは、かつての部下の死だった。

「己の所有物(部下)に手をかけるなど強欲が聞いてあきれる」と叱咤するリンの言葉に揺らいだ彼は、「俺は全てを手に入れるためにお父様から全てを奪う」という建前のような行動原理でエドワードたちと仲間になる。

自分自身を建前で飾り、本心と正面から向き合うことを不器用に避けながらも、彼は本質的な理念に従って行動をする。
最後の戦いで「自分は単に仲間が欲しかっただけだったのだ」と悟るグリードのその心は、創られたものではなく、まさに人間そのものと言えるだろう。

他のホムンクルス達も、その散り際にはどうしようもなく人間らしい領域まで精神が成長していくものが多い。

ムスタングへの愛情を最期に漏らす"色欲(ラスト)"
人間への嫉妬を悟られ自死を選ぶ"嫉妬(エンヴィー)"
妻と自分の関係性に決して他人を挟ませまいと凄む"憤怒(ラース)"

こういったいわゆる敵キャラ達も、憎めない最期を飾り散っていく。

この漫画は毎巻誰かしらの登場人物が亡くなっていくという、意外に退場キャラの多い漫画ではあるが、どのメインキャラも噛ませ犬のような終わり方ではなく、その信念を感じさせられる最期ばかりということも、嬉しいところだろう。

また、そういったキャラクターの最期が丁寧に描かれるからこそ、それでも生きていくキャラクターたちが向き合う、生き続けることの意味が際立っていく。

亡くした命を前に、どう生きていくのか。
終わらない復讐の連鎖と、どう向き合うのか。
その与えられた技術は、なんのためにあるのか。

最後は彼らがそれぞれの答えを考え、またそれらとこれからもずっと向き合い続ける決意を元に、先へ進み続けていくことを示している。
何よりも最終話でエドがウィンリィと結ばれることで、彼に帰る場所ができるという収束の仕方も、ベタだが私はすごく好きなのだ。

どうにも手放せない、登場人物の数だけ魅力が詰まった名作漫画だ。

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