漫画

合理的選択と倫理で揺れ動く主人公に痺れる -『亜人』作:桜井画門 について-

2023年3月1日

再生能力、不死の呪い、吸血鬼、ゾンビ、意識の転送…etc.

漫画やアニメの中では、いろいろな「死なない存在」が登場する。

『亜人』も同じように、死んでも体が再生してしまう不死の人類がごく稀に発見されたという世界の話だ。

死んでも再生できる能力と、一部の亜人は『ジョジョ』のスタンドのように分身のようなものを出す能力を持つ。
それ以外はただの人間と同じだ。

亜人を"保護"しようとする世間からの逃走を続けながら、「普通の生活」に戻るために奮闘する永井。

そしてそれに対立するのは「亜人の人権を取り戻す」という正義を掲げながらも実際はゲームのような感覚でテロ行為を繰り返す佐藤という亜人の男。

限りなく利己的な主人公である永井が佐藤と戦うのは、利己的感情からくる「結果的に亜人である自分の平穏を守るため」なのか、それとも正義の為なのか。

死んでも再生するというとファンタジーな超能力のような印象かもしれないが、この作品では"科学的な突然変異としての可能性"というポジションに置かれているのも面白い。

"死なない事"の性質や可能性を思った以上に作中で分析していて、それが物語の展開に取り入れる為あくまで"死なない身体"が可能な行動から敵が予想外の攻め方をしてきたり、対抗するための戦略が練られたりするのだ。

果たして永井は絶対死なない身体を持ってして、どうやって絶対死なない相手を倒すのか?

全17巻と少し長めだが完結済みの作品なので、ぜひ読んでみてほしい。

あらすじ

絶対に死なない未知の新生物・亜人の少年、永井圭の戦いを描く!

17年前、アフリカの戦場に決して死なない人間が現れた。

以降、まれに人類の中に現れる、その決して死なない未知の新生物をひとは「亜人」と呼んだ。

夏休み直前、一人の日本人高校生が下校時に交通事故に遭って即死。

生き返った少年には多額の懸賞金がかけられた。そして、全人類を相手にした少年の逃避行が始まった。

https://afternoon.kodansha.co.jp/c/ajin.html

主人公の永井圭は医者を目指す優秀な高校生。
そのために勉強にコストをかけて、人間関係なども必要なものだけを選んできた人間だ。
排他的ではないが、受け入れる人間関係はあくまで自分に利益をもたらすかどうかという利己的な尺度がある。

そんな彼がある日、交通事故に巻き込まれ、"生き返ってしまった"ことによって彼が「死なない人間」つまり亜人であることが判明してしまう。

亜人の特徴は、絶命すると一番大きな部位から中心に体が再生する。
そして亜人の再生を司る黒い物質で分身のようなものを出せる個体がいる。

この2つだけで、それ以外は普通の人間と同じだ。

世間から実験動物のように扱われ懸賞金がかけられる亜人だとわかってしまった永井は、逃走しながら「どうすれば亜人である自分が以前と同じ生活を送れるか」を最優先事項として最善の行動を考えていく。

そんな中、佐藤と名乗る謎の人物が「亜人の人権を取り戻すため」という大義名分の為、テロ行為を開始する…

すゝめ

まず初めに断っておかなければならないのが、この作品が連載開始当初、原作と作画に別れた作品であったということだ。
"であった"ということは、つまり途中から原作が抜けることになったのだ。

1巻の段階では原作者と作画の名前が載っているが、それ以降は作画の桜井画門の名前だけになるのだ。
そのため2巻以降は作画担当だった桜井氏が物語の方も考え書き進めるという特殊な経歴の漫画だ。

1巻では逃走劇をメインに描こうとするような流れだが、3巻あたりから永井の性格について掘り下げられ、いかに佐藤に対抗するかという話が盛り上がっていく。
いわば軌道修正が完了する。

それまでピンとこない人ももしかしたらいるかもしれないが3巻まで読めば、きっと一気に最終巻までノンストップで読んでしまうと思う。

この漫画の面白さは、「不死」という存在がもしいたら、という考察がしっかり練られているところだ。

もしも死なない体を持っていたら…
どんな無茶な戦い方が可能か?
どんな手段なら無力化が可能か?
断頭して脳を再生させた場合、本人の意識はどうなるのか?
栄養失調などによる死でも再生できるということは、再生時身体に何が起きているのか?

こういった要素を作中でしっかり言及し、物語の展開として上手く作用させてくれる。

基本的に物語は、利己的でありながらも「佐藤の暴走を止めるべきだ」という倫理に従って対決を挑む永井と、"残機無限"のバグを使うかのようにゲーム感覚でテロ行為を楽しむ佐藤とのぶつかり合いがメインの軸となる。

永井が佐藤に立ち向かうのは、純粋な正義のためではない。
このまま佐藤がテロを繰り返し、亜人が危険視されるような社会になってしまえば、自分も同じ亜人として行き辛くなるという理由が何よりも手前にある。
しかしこの永井の魅力は、こういった利己的な建前がありながらも、「眼前の不必要な死を見過ごすべきか?」というような倫理も持ち合わせている。

自己中心的で頭脳明晰、判断力も理解力もあるが、口も悪く歪んだ主人公であるにも関わらず、"人として"という倫理と向き合いながら戦う姿がかっこよくてたまらない。

また、本作は敵対する佐藤という男の恐ろしさの描写も面白い。
"不死である"という要素をこれ以上なく使いこなし、あの手この手で永井たちを追い詰めていく。
自死をすることで、どんなダメージもリセットできるということを何の躊躇いもなく多用する佐藤の戦闘は、超パワーやサイキックなどは持ち合わせていないにも関わらず、超人のような恐ろしさがある。

戦闘経験も、軍資金も、人員も確保している佐藤に対し、ただの"賢くて不死身の高校生"である永井はどうやって戦いを終わらせるのか?

なぜ自分が戦うのか?
なぜ佐藤を止めないといけないのか?
そしてどうすれば佐藤を止められるのか?

死んでも勝つための頭脳戦をぜひ読んでみてほしい。

レビュー【ネタバレあり】

ここからは具体的なシーンなどに触れていきます。
作品をまだ見ていない方にはおすすめしません。

物語が進むにつれて、永井はどんどん亜人としての選択肢の取り方に慣れていく。
まるで佐藤を模範するに。

しかし、永井の持つ倫理や人間味というものが描かれ続けているのも確かだ。

序盤の研究員を助けたことについても、のちに中野と話す中で「そのことをずっと考えていた。多分利用価値があるからだ」と振り返って理由づけをしている。

助けてくれた人がまだ生きているのなら、自分も彼を助けてやらないと"割に合わない"。

そういった形の合理性を永井は求めることが、カイについてのくだりからもわかる。

また、中野という相棒と組んでからもその人間味を強く感じさせられる描写が多い。

例えば、二人が合流してから、戸崎のチームに入るまでの流れだ。
人当たりが良くて、協調性にだけ特化したような(永井に言われせば)バカである中野に対して、永井がある種の負い目を感じているようなシーンがある。
賢く正当な意見や提案をできる自分が変わる必要があるのか?何が間違っている?と自問する彼に、特殊部隊のリーダー平沢が「お前はそれでいい」と断言するシーンは痺れる。
ただの戸崎の部下のような見え方をしていた平沢に対して、一気に仲間としての解像度が上がる。

そのさきで起こるフォージでの戦いで散る部隊メンバーが儚くも死んでいくシーンは、今まで多くの"死亡シーン"を見せられていたにも関わらず、仲間の"死"というものの大きさをしっかりと突きつけてくる。

最終ウェーブでの戦いも、一度戦いをやめる選択をとってもなお、倫理面での葛藤を経て永井は帰ってくる。
なぜ自分と無関係の大勢の死を止めないといけないのかは、永井は明言しない。
夢の中で語るコレラについてのシーンなどもあるが、なぜ自分がそれをしないといけないかをはっきりと言葉で語りはしないのだ。
けれども、佐藤との戦いで敗れた仲間とのやりとりをへて、彼の選択に説得力を感じることが出来る。

このテキスト上での説明ではない、映像的な演出こそが『亜人』の良さなのかもしれない。

『亜人』の中で多くある「カッコイイシーン」というのはどれもクールだ。
少年漫画的なアツさというよりも、ハードボイルドな映画のような冷たいかっこよさがある。

私は最終戦での永井が中野に「流石お前だ!!!」と見開きでいうシーンではぶち上がってしまった。
セリフとしてはなんでもないのに、キャラクターの描写がしっかり築かれてきたからこそ、このシンプルな会話から汲み取れる要素が多く込み上げるものがある。

全ての手を出し尽くし、見つけられる可能性を全てかき集めて、圧倒的に不利な永井たちが佐藤を倒す。
その最後の一手は、合理的な永井が取るとは思えないような博打の一手だ。

ここまで永井は亜人という身体を持ちながらも"人として"という倫理を手放さずに佐藤と対立してきた。
"人として"という倫理を最初から持ち合わせず、亜人としてしか生きてこなかった佐藤が、"人として"行動した永井に負ける。

これ以上ない終わり方だろう。

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