私は去年、大学時代とても仲良くしていた友人を亡くした。
彼とはルームシェアをしていた時期もあるくらいの仲だったが、前触れもなく自ら死を選んでしまった。
遺書もなく去ってしまった彼が「死を選ばなければならなかった理由」というものの手がかりはほとんど見つからず、残された私たちは全て憶測でしか話すことができなかった。
一周忌を終えてもいまだになぜ彼が死んでしまったのか、そしてなぜ自分はこうもしぶとく生き延びているのかと考えることがある。
今回紹介するのは『先生の白い嘘』で話題になっていた鳥飼茜氏による最新作『サターンリターン』。
小説家の主人公 理津子が、かつて作品のモデルとしていた旧友"アオイ"が自殺で亡くなったという訃報を受け取るところから物語が始まる。
「30歳になるまでに死ぬ」とかつて予言していた彼は本当に亡くなってしまったのだ。
彼が死の直前に残したのは8人の女性へのプロポーズのメール。
理津子はアオイの死を解くように、かつて中島と人生を共にしていたそれぞれお8人の女性のもとを巡っていく。
この漫画はミステリー的な盛り上がりを見せながらも、それぞれの回想でのシリアスなトーンと、現在の間の抜けたようなトーンが入り混じる。
この騒動の当事者であり、中心人物でもある理津子は、亡くなったアオイの真意を負いながらも、たくさんの秘密を抱え、嘘を吐き続けている。
彼の死の真相を追う道中も、どこか他人事のような冷めた感覚でグイグイと物語を動かしていく。
彼女と行動を共にする担当編集者の小出駿平は、この事件にとってはあくまで他人として加治をサポートしていくが、この"本当に他人事"である小出と、"本当は当事者"であるはずの理津子がかわす、建前や白々しさが漂う会話が心地良い。
各登場人物が持っている秘密や、無意識に振る舞う嘘、それをこれほど丁寧に言動に写しとっている漫画は中々ないのではないだろうか。
あらすじ
書けない小説家・加治理津子(かじりつこ)。
ある日、かつて最も心を許した男友達・アオイが夢に現れ、
理津子に問いかけた。「それ ほんとうに お前の人生?」
電話の着信で目が覚めた理津子は、
アオイが自殺したことを知らされる。昔輝いていた夢、現在の夫婦生活、大切な人の死…
目を背けていた“喪失”の人生が
動き始めるーー【サターンリターン/土星回帰】
https://shogakukan-comic.jp/book?isbn=9784098603145
意味…土星の公転周期が約30年であること。そのことから占星術では、約30年に一度、人生の大きな転機が訪れると言われる。土星は「凶」あるいは「試練」などの象徴とされ、この時期に人は困難な局面に立たされやすいと言われる。
死んでしまった"アオイ"はいわば女たらしであり、多くの女性を翻弄してきた人間だ。
アオイは死に際に8人の女性にプロポーズのメールを送り自殺を果たした。
主人公の理津子はかつて小説のモデルとして描いていたアオイの死をきっかけに、人生における様々な喪失と向き合っていく。
上っ面の夫婦関係、書けないままの小説、帰れない実家との亀裂、そしてアオイとの秘密。
作中でリフレインするアオイの「それほんとうにお前の人生?」という言葉。
彼の死を追い解きながら、次第にそれぞれの中にいるアオイが、それぞれの嘘を露わにしていく。
すゝめ
この作品で強く惹かれたのは、その会話の描き方だ。
心のうちに何かを残しながら、"とりあえず"で交わされていくその会話の温度感を描くのがベラボーに上手い。
相手の話を聞いていないフリをするかのように、今は関係ないことばを挟んだり、かと思ったら急に核心に触れてみたり、坂元裕二脚本のドラマでの会話を彷彿とさせるような、会話の白々しさがある。
それぞれが男女の関係や、夫婦関係、仕事と恋愛における真意や、承認欲求、被害者意識を燻らせ、誰かを責め立てる。
多くの女性を振り回したアオイの死を追うはずが、物語は次第に追う側であったはずの理津子自身に振り回され始める。
アオイが残したメッセージとはなんなのか?
アオイを失った女性たちは何を抱えて生きるのか?
そして、理津子が抱える喪失と嘘とはなんなのか?
全10巻で完結済みの作品なので、ぜひ読んでみてほしい。
レビュー【ネタバレあり】
ここからは具体的なシーンなどに触れていきます。
作品をまだ見ていない方にはおすすめしません。
アオイがそれぞれの女性に与えたのはなんだったのだろうか。
アオイの言動は、彼女たちを利用するような身勝手で罪深いものがほとんどだ。
しかし、それぞれが抱えている絶望や退屈から、アオイはむしろ救いを与えているような一面もある。
それはどれも互いを蝕む「女(もしくは男)という呪い」のように、じわじわと人生を乗っ取っていくように広がっていく。
アオイの存在とその喪失によって、人生が歪められたかのように振る舞う登場人物たちだが、彼女たちはもともと何かしらの欠落を抱え、嘘を纏っている。
それはこの物語に関わらず、すべての人間に言えることだろう。
アオイがその欠落を刺し、嘘を剥がしてやることで、それは救いにもなったが、結果的にそれらはアオイの喪失によって歪みとしてだけ残る。
人は他人の介入や、その存在の大きさから嘘をつく。
小説も、赤ちゃんも、夫婦関係も嘘で塗り固めて無理やり延命されたようなものだった理津子。
しかし全ては「自分だけの人生」などではなく、他人から受けた呪いを解こうとすることが、それらを全て受け入れた「自身の人生」を自立させる術なのかもしれない。