「おいしく召し上がれますように」
たこ焼き屋さんで持ち帰り注文した時のことである。
女性スタッフが丁寧に商品をこちらに渡しながら、そんな言葉を添えてきた。
当初はそのスタッフが独特な接客ワードを駆使しているのかとも思ったが、他のスタッフにも同じセリフと共に商品を渡されることがあったため、どうやらマニュアルか何かのようだ。
おいしく召し上がれますように。
店からしてみれば、これはせつなる願いだろうが、私はこれを言われるのがどうも苦手だ。
世の中には、思い浮かんでも言わなくもいい言葉がたくさんある。
例えば、バイト先のカフェに友人が来た時などだ。
個人経営のお店などだとバイトスタッフの友人にはちょっとしたサービスをしてくれる店がたまにある。
ちょうど自分が休憩中などに友人が訪れいて、サービスができなかった時にふと言いそうになってしまう言葉がある。
「私がいるときに来てくれたらドーナツをサービスできたのに」
言わなくていい。
元々存在しなかったはずのドーナツなのに、これを言うことで「失われたドーナツ」が浮かんできてしまう。
なんか損した気分になってしまうではないか。
ドーナツを食べる気があったにしろ無かったにしろ、「ドーナツを食べ損ねた人」になってしまうのだ。
その言葉が"そもそも無い"ものを"有ったのに無くなった"ものに変貌させてしまう。
「"ドーナツの穴"と化したドーナツ」の悲劇だ。
「おいしく召し上がれますように」
まさにこれもその言わなくてもいいことの一つである。
これを言われることによって、そのたこ焼きに対して「おいしく召し上らねば」という精神的な呪縛が生まれる。
これでうっかり帰り道にどこかに寄ってしまい、召し上がる時には冷めている、なんてことがあったあかつきには「おいしく召し上がれなくてごめんな…」とたこ焼きに対して、そしてあの女性スタッフにも心で詫びながら召し上がることになる。
そんな心境で食べるたこ焼きがうまいわけがない。
そんな祈りや配慮は心の奥にしまっておくべきなのだ。
さて、今回の記事は楽しんでいただけただろうか。
どうか楽しく読んでいただけますように。