思弁逃避行

[#13]回る寿司に並ぶ人 -思弁逃避行-

2023年1月26日

昼をすっかり過ぎようがなんだろうが、回転寿司屋というものは混んでいる。

何故なのか。
こんな昼間でも寿司を食おうという人がこんなにもいるのかと毎回寿司屋の前で驚いてしまう。
かくいう私もその列にいるわけだが。

しかし寿司はすごい。
安いモノを雑に食うことも出来れば、高いモノを贅沢に頂くこともできる。
さらに言えば、こってりしたものを食べることも出来れば、あっさりとしたものを食べる事も出来るので、ことさら皆の足が向くわけだ。

今や回転寿司ではコーンやハンバーグや唐揚げやポテトもラーメンも食べられる。
意味がわからない。
もはや寿司屋と言えるのか。これは回転食物屋さんだ。

恥ずかしい話だが、私は生魚が食べられるようになったのは二十歳を超えてからのことで、初めて美味い刺身を食べた時には「これを焼く意味がわからない」と後悔したくらいだ。
そのため回転寿司という場所に初めて行ったのもわりかし最近のことだった。

初めての回転寿司はこの上なく奇妙だ。
あんなにもの数の食べ物が横スライドし続ける状況を私は他に知らない。
それだけではなく、タッチパネルで寿司を注文すれば目の前に寿司が滑り込んでくる。
あの「寿司のネタが崩れ落ちない、かつ客を待たせない範囲で最も速い最適な速度」で滑り込んでくるというのがたまらなく面白い。
しかも今食べたい好きな寿司が飛んでくるのだ。もうたまらない。

面白い、嬉しい、美味しい、面白い、嬉しい、美味しいというループからもう抜けられないのだ。
その快楽を知っている限り、回転寿司屋に並ぶことを人はやめられないのだろう。

きっとこの列に並ぶストレスも合わせて回転寿司なのだと私は列の中で納得する。
きっとこれを耐え忍んんだ直後に食べる寿司は美味い。

そう、寿司はいつだって美味いのだ。
親しい間柄の人間が死んだ直後だって寿司が出る。
そんな悲しくてたまらない時だって寿司はうまいのだ。
大切な人を弔いながら、皆寿司を頬張り、心の中でいつも通り「うまい」と呟くのだろう。

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