2016年、アジカンが過去に出していた代表作とも言えるアルバム『ソルファ』を全曲再録してリリースした。
この記事を書いている時点で「2016年?!?!?」と時間の流れに無茶苦茶びびっているのだけれど、2016年らしい。まじか。
初期の衝動的なサウンドやボーカルのシャウトの印象が強かったアジカンも、12年を経てそのサウンドの変化と同時にそれらの楽曲の良さを改めて知らしめてくれた。
そんなアジカンが2023年、今度は『サーフブンガクカマクラ』を再録してリリースしてくれた。
この間から続けていた一週間ヘビロテだが、気が狂う企画かと思いきや、普通に楽しい。
今回はASIAN KUNG-FU GENERATIONの『サーフブンガクカマクラ』を2008年盤と2023年の完全版の2枚を、ひたすらヘビロテしたいと思う。
ASIAN KUNG-FU GENERATION『サーフブンガクカマクラ』
私はアジカンといえば高校生の時に本当にアホみたいにリピートし続けていたバンドだ。
しかし、正直なところ大学に入った辺りの頃は「もっと洋楽も聞かないとダサいと思われる」という(その思想こそが一番ダサいが)強迫観念に追われ、あまりアジカンは聞かなくなってしまっていた。
くだらない見栄のおかげで色々な音楽を聴くようにはなったけれども、oasisやWeezer、Beckなどの音楽の入り口になってくれたアジカンにはやはり感謝をしなければならないと思う。
リアルタイムの世代ではないけれども色々な要因から大ファンになったthe pillowsやtheピーズなどとは違い、アジカンは私の世代にとってリアルタイムど真ん中のバンドだ。
青春時代を共にしたわけでもない友人と話していてもアジカンの話題はよく上がるし、その度に懐かしさとその良さにまたソワソワさせられる。
そんなアジカンがリバイバルする青春のフルバージョンを今回はしっかり聞いていきたい。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONとは
ASIAN KUNG-FU GENERATIONは1996年から活動する日本のロックバンド。
メンバーは後藤正文(vo./gt.)、喜多建介(gt.)、山田貴洋(ba.)、伊地知潔(dr.)の4人で、関東学院大学のサークルをきっかけに結成された。
この苗字の並びは最近話題になった『ぼっちざろっく』という作品でも馴染みがある。
主人公たちの苗字は全てアジカンのメンバーから引用されている。
そしてアニメでは作中バンドによってアジカンの「転がる岩、君に朝が降る」がカバーされるなど前面にリスペクトされている。
他にも浅野いにおの漫画『ソラニン』の映画化にあたって制作された劇中歌『ソラニン』が有名であったり、音楽界以外の文化圏にも大きな影響を与え続けているバンドだと言えるだろう。
シンブルなギターにテクニカルなドラムによるサウンド、さらに一曲の中でのメロディの展開や構成も特徴的で、UKロックからの影響が大きく見られるものの"アジカンらしさ"が確立されたサウンドが評価されている。
また初期衝動的な側面が強い初期から、後藤正文の詩的な歌詞表現も一貫して支持されている。
2023年現在に至るまで、活動休止やメンバーの脱退もなく活動を続けている。
サーフブンガクカマクラとは
アジカンがリリースした5thアルバム。
2008年にはすでにミニアルバム『まだ見ぬ明日に』、フルアルバム『ワールドワールドワールド』をリリースしていたにも関わらず、本作は発売された。
怒涛の制作ペースだ。
しかしこのアルバムは今までのカップリング曲として地道に制作され続けていた”湘南シリーズ”を集め、新曲を合わせた企画盤のような側面も強い。
収録曲のタイトルには全て江ノ島電鉄の駅名が使用されており、コンセプトアルバムらしい作りになっている。
しかし実際の江ノ電の駅は15駅あることに対して、2008年にリリースされた『サーフブンガクカマクラ』は全10曲となっていて、未楽曲化の駅がある状態だった。
そして2023年の『サーフブンガクカマクラ』では残りの5駅も楽曲を制作し、尚且つ過去に作っていた楽曲分も全て再録された。
2008年版の楽曲は全て一発録りだったようで、ライブ感を重視した仕上がりになっているが、2023年版はしっかりとスタジオ収録したものなので後藤自身も「2008年のはデモ盤で、今回のが完成盤」といったりもしている。
『サーフブンガクカマクラ』の収録曲
2008年版
- 藤沢ルーザー
- 鵠沼サーフ
- 江ノ島エスカー
- 腰越クライベイビー
- 七里ヶ浜スカイウォーク
- 稲村ヶ崎ジェーン
- 極楽寺ハートブレイク
- 長谷サンズ
- 由比ヶ浜カイト
- 鎌倉グッドバイ
2023年版
- 藤沢ルーザー
- 石上ヒルズ
- 柳小路パラレルユニバース
- 鵠沼サーフ
- 西方コーストストーリー
- 江ノ島エスカー
- 腰越クライベイビー
- 日坂ダウンヒル
- 七里ヶ浜スカイウォーク
- 稲村ヶ崎ジェーン
- 極楽寺ハートブレイク
- 長谷サンズ
- 由比ヶ浜カイト
- 和田塚ワンダーズ
- 鎌倉グッドバイ
1日目
まず最初に2023版を聴いてぶち上がったポイントは「日坂ダウンヒル」でのweezerオマージュだ。
今ままでもアジカンは結構わかりやすいオマージュを作品に組み込んできたりする。
例えば過去の曲では「今を生きて」とかは無茶苦茶oasisの「stay young」だ。
イントロとかが顕著だけれども、しっかりアレンジやメロディラインやサビの展開はアジカンらしく作られていて、どちらの曲も大好きだ。
こんな具合で影響を受けてきた音楽をはっきりと表明して、その上でリスペクトのあるオマージュをファンサービスで出してきたりするのは、私はとても誠実だと思うので嬉しくなってしまう。
今回の「日坂ダウンヒル」もそうだ。
この曲は明らかにweezerの「El Scorcho」を元に制作されているのがわかる。
イントロの偏屈なギターフレーズ、そして咳払いから入るボーカル。
だけどサビに展開にすると、しっかりアジカンらしいバラードに戻ってくる。
やはりこのアルバムはタイトルの時点でweezerの「Surf Wax America」をもじっているだけある。
新曲として収録された曲だけではなく、2008年版からあった「長谷サンズ」も当時weezerの「The Good Time」のようなエッセンスを感じてテンションが上がったのを思い出す。
ここ最近のアジカンはパワーポップへの回帰がちらほら見え隠れしていたけれども、このアルバムではガッツリパワーポップど真ん中の曲が多くて嬉しい。
2日目
アジカンといえば「消してぇ!!!リライトしてぇ!!!」と叫んだり「生き急いでぇ!!!搾り取ってぇ!!!」と喚いたりするイメージで止まっている人も少なくはないかもしれない。
「たっとっうぇっばぁ〜♫」のイメージが強い人もいるかもしれないが、あれも名曲ではあるものの歌詞の話をするならば、あの歌詞を書いたのは浅野いにおだったりする。
もちろん初期のそういった曲が印象に残りやすいのは頷けるけれど、よくよく聞いてみると思った以上に物事を繊細に書き出しているのがアジカンの歌詞の良さだと私は思う。
ストーリーテラー的な説明を下手にせずに、抽象的な風景と心情の描写のバランスが抜群にいい。
それなのに、歌い方で変に歌詞を"聴かせて"こないので、スッと聞けてしまうのも不思議な感覚だ。
今回のアルバムの中で特にそのあたりの良さを感じたのは、「柳小路パラレルユニバース」だった。
少しずつ影が背を伸ばしても
まだまだ終わりじゃないさ
今日午後からは海の風になって
「柳小路パラレルユニバース」作詞:後藤正文
君らしく踊ればいいじゃない
このサビは歌詞だけれども、曲を聞いてから歌詞を見ると「ここでそう区切ってたのかよ」と思わされる。
「少しずつ影〜が背を〜伸ば〜して〜」で区切って、「も、まだまだ終わりじゃないさ〜」と「も」が入ってくる。
しかもその後も「終わりじゃないさ〜今日〜」と歌ったりしてくる。
「も」なんて入れずに「まだまだ」をゆったり入れてもメロディや歌詞的には違和感はないはずだ。
「終わりじゃないさ〜今日〜」のところも、普通なら「終わりじゃないの〜さ〜」とかの方がよくある言い回しだろう。
どんな歌詞の区切り方だよ。
だけどこの日本語的なリズムをあまり優先させない歌い方こそが"ゴッチっぽさ"を産んでいるような気もする。
ちなみに、この曲は「出町柳パラレルユニバース」の別バージョンのような形をしている。
森見登美彦とヨーロッパ企画のコラボ作品をアニメ化した『四畳半タイムマシンブルース』の主題歌だった「出町柳〜」に対して、「柳小路〜」は歌詞の節々が少しだけ変わっている。
私も初めて聞いた時は「あれ?同じ曲?違う曲なの?タイトルは違うけど何が違うんだ?」とハテナが浮かんだけれども、実質曲自体はほとんど同じではある。
粋だと感じたのは、その二つの曲の歌詞のずらし方だ。
それぞれ京都の出町柳と湘南の柳小路が青春の舞台になっていて、パラレルワールド的に並行させているとゴッチ(敬意を込めて通称で表記させていただきます)がインタビューで答えていたが、その風景の描写の変化が歌詞に出ている。
例えばそれぞれのサビの歌詞だ。
「出町柳〜」では「午後からは街の風になって」と歌い、「柳小路〜」では「午後からは海の風になって」と歌っている。
何度かサラッと聞いたくらいだと歌詞が変わっていることに気づかなかった。
京都は「街」、湘南は「海」と無茶苦茶地味な違いだ。
他にも「細い路地の先に君」が「改札の先に君」とか、君のポジションが違ったりする。
こんな具合にほとんどが微々たる変化だったのだけれども、一番唸ったのはCメロの歌詞だ。
近未来を憂うより
「出町柳パラレルユニバース」作詞:後藤正文
実際タイムマシーンには乗れないけど
BGMはバディ・ホリー
「柳小路パラレルユニバース」作詞:後藤正文
メアリー・タイラー・ムーアはいないけど
凄すぎる。粋すぎるだろ。
曲を跨いで韻を踏んできた。
「タイムマシーン」と「タイラー・ムーア」で踏んでくるとは。
そして何が粋かって、この「バディ・ホリー(ロックンロールスター)」と「メアリー・タイラー・ムーア(女優)」というモチーフは、前述したweezerの楽曲「Buddy Holly」の歌詞で出てくる並びなのだ。
こんなところでもweezerへのリスペクト要素を混ぜ込んでいた。
weezerの「Buddy Holly」でクオモは「僕はまるでバディ・ホリー、君はメアリー・タイラー・ムーアみたいだ」と、冴えない自分と相手の眩しさを歌っている。
けれども、アジカンはこの引用で、「特別な恋の予感もしない」という歌詞を回収するように、ヒロインすらいない寂しさをニヒルに描いている。
すげ〜〜〜!!!かっこい〜〜〜〜!!!!
3日目
全体的なサウンドの傾向にも変化を感じられるのも今回の完全版の楽しいところだった。
高校時代、当時の私にとってはアジカンなんて音がデカければデカいほどいいと言わんばかりの音量で聞いていたが、今はそんな体力はない。
普通に体にも良くない。
ところが比較して聞いてみると顕著にわかるのだが、新録版は音量を大きくしても全然しんどくない。
ミックスの仕方なのか、録音の変化なのか、はたまたギターの音作りの変化か…
そういったサウンドエンジニア的な知識はさっぱりない私だけれども、全体的に音がスッキリしてどのパートも聴きやすくなっているということはハッキリと感じることができる。
きっとこのあたりが2008年版の一発録りとの録音面での大きな差なのだろうか。
スタジオライブ一発録りというと、以前感動したやくしまるえつこのベスト盤を思い出す。
相対性理論のボーカル、やくしまるえつこのソロ活動での楽曲は、オーケストラなどを携え豪華なアレンジをした可愛らしい楽曲が多かった。
けれども、彼女が2013年に満を辞して出したベスト盤『RADIO ONSEN EUTOPIA』は、なんと収録曲の全てがスタジオライブによって一発録りで再録されていた。
ふわふわキラキラとゴージャスな演出のイメージだったけれども、ベスト盤のアレンジは疾走感のあるバンドアレンジ色が強く、どの曲もシングルとは全然違う印象でカッコよく仕上がっていた。
今回のアジカンは流石にこれほどのアレンジの差はないけれど、やはりスタジオでの一発撮りと、手間暇をかけた録音は思っている以上にそれぞれの良さが強く出るのだということがわかった。
音の"奥行き"がある、だとか"立体感"を感じる、とかいうと抽象的な感じがして胡散臭いかもしれないが、2023年版の音はそんな印象がある。
「鵠沼サーフ」とかだと、2008年版はハイゲインなギターのサウンドやフィードバック音がギャンギャンキンキン暴れ回るようなカッコ良かったが、2023年版は少しテンポも落とされ、ギターは茹だる夏の蜃気楼を感じるような、角が取れたサウンドになっている。
どっちも好きなのだけれども、2023年版は歌いだしの「嗚呼 リアルに何もない そうそう夢ってヤツもねえ…」という気怠そうな歌詞との親和性が増した気がする。
また「稲村ヶ崎ジェーン」でもサウンドの変化による曲の印象がわかりやすい。
リズミカルで歌詞もコミカルで楽しい曲だが、私はこの曲のAメロで鳴っているギターのフレーズが大好きだ。
ブリッジミュートで「プンプンプンプン♫」と階段を登るような音階で楽しげに鳴っているあれです。
そういった裏で鳴っている、お楽しみフレーズみたいなものがすごく聞き取りやすくなっている。
他にも音の分離が綺麗になったことで「こんなフレーズ入ってたのか」という再認識したり再発見できる楽しさがあって嬉しい。
4日目
今更だけれども、この15年でゴッチの歌い方もだいぶ変わった。
よりモッタリ、もっさりと歌うようになってきている。
けれども高音の際は初期のがむしゃらさはなく、のびのびとスッキリ歌っているような印象だ。
このあたりは『ソルファ』が再録された時も改めて強く感じさせられたところだが、今回はアルバムの持つ雰囲気が『ソルファ』のとはまた全然違う。
青さと衝動を感じる『ソルファ』に対して、『サーフブンガクカマクラ』はどちらかといえば青春の終わり頃や、終わった青春を懐かしむようなノスタルジーなイメージがある。
正直今のゴッチの歌い方は初期の曲にはあまりあっていないような感触はある。
『ソルファ』の再録版を聞いた時はもちろんテンションが上がったが、やっぱり荒削りな良さを原曲に見出してしまっているが故の物足りなさがあった。
(もちろんCD音源を聴き慣れてしまったせいなので、きっとライブとかで聞いたら全然気にならないと思うが)
けれども、都市の焦燥から逃れたような空気が漂う本作は、今のゴッチの歌い方がビックリするくらいマッチする。
結局今回も「やっぱ原曲で聴き慣れているし、2008年版の方が好きだな〜」と思ったりするのかと構えていたけれど、意外にも私はこの2023年版の方が好みかもしれない。
「七里ヶ浜スカイウォーク」とかは特にその変化による良さを感じた。
2008年版の方だと歌い方自体は気怠い空気なのだが、2023年版はのびのびと歌っているせいか、身を任せるような穏やかさを感じる。
また喜多さんのハモりや、オクターブ下のコーラスが綺麗に入っていることもあって、切なく寂しげな空気がより際立ってグッとくる。
きっとゴッチのこの落ち着いた歌い方が、過ぎた青春に立ち戻ろうとするような、"大人になってしまった感"をより際立たせてくれているように感じるのだ。
5日目
私がこのアルバムで一番好きな曲をあげるなら、迷わずに「腰越クライベイビー」を挙げる。
メロディの気持ちよさもあるが、いくらなんでも歌詞が良すぎる。
栓で塞いでしまった今日の日の切れ端でも
いつか未来で拾って開くのは君なんだよ腰上まで君は波に浸かって
「腰越クライベイビー」作詞:後藤正文
仰向けで浮かぶブイの遊泳
ズブ濡れで僕も泣いてしまって
涙目で滲む昧の浜
描写が美しすぎる。
海で揺れるメッセージボトルと、海辺で泣く君と僕。
ほとんどそれくらいしかモチーフはないはずなのに、鮮やかに情景を描いていて、すごく魅力的な歌詞だと思う。
悲しい記憶を詰めて流したメッセージボトルが、何年か越しに自分の元に帰ってくる。
結局自分の過去は自分で向き合うことしかできないし、この歌詞でも"僕"は"君"に何もしてやれていない。
一緒にズブ濡れになって泣くことしかできない。
そのやるせなさが無常な海の描写と噛み合って、聴くたびに泣きそうになる。
そしてもう一つ取り上げたいのが、サビ前の語感とメロディの合わせ方だ。
「栓で塞いでしまった今日の日の」「いつか未来で拾って開くのは」の部分。
口が大きく開く母音が交互にやってくるような並びに、高低で波打つようなメロディが噛み合う。
口ずさんで見てもらうと分かると思うが、これが無茶苦茶気持ちいい揃い方をしている。
そりゃゴッチも気持ちよさそうに歌う訳だ。
ゴッチがどういう順序で作詞作曲をしているのかは知らないが、このアルバムの曲は特にメロディーに対する音の心地よさも重視しながら言葉が選ばれているように感じる。
6日目
本作を新旧繰り返し聴いていて節々で思ったのは、「あれ、こんなコーラス入ってたっけな」というところや「ギターこんな感じだったっけな」というところ。
最初こそゴッチの歌い方や、全体的なバンドサウンドの変化に気を取られていたが、ずっと聴き込んでいるとどんどん他のメンバーの仕事が光って見えてくる。
わかりやすいところだと「稲村ヶ崎ジェーン」では後半の「今日だけ今だけ全部燃やして」という歌詞のところが喜多さんのパートに変わっていたりする。
2008年版は全部ゴッチが歌っていたところだったので、二人の掛け合いのようなパート分けに変わっていることにテンションが上がった。
「藤沢ルーザー」でもサビでのコーラスが入ったことで爽やかさが増した。
「由比ヶ浜カイト」のラストサビのところは喜多さんのコーラスは以前と同じように入っているが、それにプラスしてオクターブ下のハモリも追加されている。
「特別なことはないよ 秀逸な才能もないけど」という最後のサビや、「ラララルラ」と歌うところの盛り上がりを豪華しにて大団円感が増した。
「江ノ島エスカー」はAメロで鳴っている喜多さんのギターのワウが2008年とは全然違う音になった。
浅めに掛けられたワウでキャンキャン暴れるように鳴っていたところが、今回は丸い音にワウが深め掛かっていてミャウミャウ鳴っている。
「鎌倉グッドバイ」ではドラムやベースの音の変化が特にわかりやすい。
2023年版はタイトなドラムになり、ベースも柔らかい音になってことで、ずっと後ろでアンビエントのように薄く鳴っているシンセの心地よさが際立つ。
あげ出したらキリがないくらいに、(そしてきっと私が気付けていないものも大量にある)小さな変化が山ほどあって、このアルバムのアップデートを感じさせられる。
ただ一番念を押しておきたいのは、私が楽しくなってきて勝手に間違い探しのような聴き方をしているだけで、こんなめんどくさい聴き方をしなくても、このアルバムは最初から「なんか全体的にスマートになったのに満足感が高いぞ」という印象をざっくりと与えてくれるという凄さだ。
7日目
私は学生時代アジカンを聴きまくっていた、と冒頭で書いてはいたが、最近のアルバムは正直のところしっかり聴いていなかった。
しっかり追い続けていたのは『ランドマーク』くらいまでだったと思う。
『Wonder Future』や『ホームタウン』『プラネットフォークス』あたりは「なんか新譜出たらしいね」くらいで流してしまっていた。
けれど思い返してみれば、しっかり聴き込んで「やっぱり違うなぁ」となった記憶はない。
単に私がかっこつけて他の音楽を聴いてるだけだった。
「アジカンはもう通過したんで、アス、懐かしいッスよね(笑) 昔良く聴いてたワ~(笑)」みたいな感じで、今思えば勝手で悟った素振りをしているだけだった気がしてならない。
多感な高校時代にブッ刺さって離れなかった名盤『ファンクラブ』への思い入れが強いのも要因の一つかもしれない。
「桜草」に救われた自分が勝手に「桜草を越える曲はもう出ないんかね〜」と古参ぶってるだけだった。
ゴッチの歌い方も、喜多さんのコーラスもギターも、山田さん伊地知さんのリズム隊も無茶苦茶魅力的なままだった。
懐古的にモゴモゴ言ってる自分に改めて「無茶苦茶アジカン好きだな」としっかりと思い出させてもらった気がする。
そして「今のアジカンも無茶苦茶かっこいいじゃんか」と思い知らされた。
すみませんでした。
これは俺です。
まとめ/全曲レビュー
一週間レビューと言いながらも、Twitterで実況していた時からさらに一週間少し経ってしまった。
これを書きながらもずっと聞き返していたので、実質2週間くらいずっと聴き込んでいた。
これだけアジカンを執拗に聴きまくって思うのは『全然聴ける』ということだった。
無茶苦茶失礼な話だ。
「当然だろタコ」とゴッチにぶん殴られても文句を言えない。
けれども、大人ぶったり、音楽通ぶって勝手にアジカンから離れた自分にとっては、これは感動的な体験だった。
「アジカン好きならweezerとかBECKも聴けよ」みたいなことをついつい言いたくなってしまうかもしれないが、それってアジカンやweezerへの愛というよりは「自分は掘り下げて他の音楽もちゃんと聴いてます」という自尊心のためのアピールだったりもするので、本当に良くないなと思う。
もちろんアジカンが教えてくれた"かっこよさ"が他の音楽をたくさん教えてくれた。
今回のアルバムでweezerオマージュに気付けた時の興奮は、アジカンからweezerへ足を伸ばしたご褒美だった。
このバンドが今も活動を続けてくれていることが嬉しいので、これからもアジカンを聴いて誰かとアジカンの話をしたり、アジカンのフレーズをつま弾いたりし続けたいと思う。
では最後に、この一週間聴き続けていった上でのそれぞれの曲の印象を最後に少しづつ書いて終わろうと思う。
- 藤沢ルーザー
いまだにこのギターのイントロでテンションが上がる。
夏っぽい疾走感と、くたびれた空気が同居していて、このアルバムの最高の導入だと思う。
青春の故郷を描くような本作だが、一曲目が「大人になってしまった自分」から始まるのが粋だ。
「三番線のホー↑ムから〜」と歌い方が変わってて笑ってしまったりしたが、コーラスが追加されるなどして爽やかさが増した。
- 石上ヒルズ
オルタナギターに、軽快なメロディが気持ちいい。
この新曲が「藤沢ルーザー」の次に始まることで「完全版が始まったぞ…!」と震えた初見時の感動が懐かしい。
ギターソロとかも完全にニルヴァーナごっこみたいな感じで楽しい。
歌詞に「三年で化石になったスマホ」と出てくるが、これは2023年に新曲が足されたからそここのアルバムに存在するキーワードだな、と15年のブランクに思いを馳せてしまった。
- 柳小路パラレルユニバース
最初は「出町柳パラレルユニバース」との違いがアウトロの有無くらいしかほとんど分かっていなかったけれど、間違い探しのような小さな歌詞の変化が楽しい。
やっぱりCメロでの歌詞の変化が一番テンション上がった。
多分は私は一生「近未来を憂うより」と「BGMはバディホリー」、「実際タイムマシーンには乗れないけど」と「メアリータイラームーアはいないけど」で曲を跨いで韻を踏んでいることに感動した話をすると思う。
そういえばアジカンはタイアップ曲を続投されることが多い。
『NARUTO』や『四畳半神話体系』なども再び主題歌を担当している。
がっつり作品に寄せた曲を作るわけでもなく、アジカンらしいけどしっかり作品との親和性が高い曲をいつも出してくれるからか、こっちも「次も主題歌はアジカンでやってくれ…!」とついつい思わされる。
- 鵠沼サーフ
少年の抱える気怠げな空気から始まり、そこから波乗りによって期待と高揚を手に入れるストーリーが、曲の展開とリンクしながら盛り上がっていくのがかっこいい。
2023年版ではテンポも少し落とされたり歌い方も肩の力が抜けた感じになったりしたが、かえって中盤の暴れるギターや後半の盛り上がりとの緩急が際立つようになった印象。
空っぽな退屈さと、「一発で誰かを救い出せるような…」という渇望、そしてそれに答えるようにやってくる大波…と歌詞の展開もアジカンにしてはわかりやすく物語がハッキリ見える曲だと思う。
- 西方コーストストーリー
コーラスのエフェクトがかかったギターソロのフレーズが海辺のイメージを掻き立てて印象的。
Teenage Fanclubの「Ain't That Enough」とかを彷彿とさせるような雰囲気で良い。
実はこの曲はサザンオールスターズへのオマージュが沢山入っているようだが、全然サザンを通ってこなかったため、私はその辺りに全然気付けなかった。
サザン好きの人はオマージュ要素探してみてください。
- 江ノ島エスカー
喜多さんのギターサウンドの変化がわかりやすい曲。
サウンドに玄人感が滲み出しているのもあるが、この青春のストーリーテラーのような歌詞を歌うのは、おじさんになった今のゴッチの方がしっくりくる気がする。
- 腰越クライベイビー
2008年の当時から現在に至るまで、やっぱりこのアルバムで一番好きな曲。
この歌詞で描かれる、何もできない「僕」の無力感を2008年版では強く感じていたけれど、2023年版だと「栓で塞いでしまった今日の日の切れ端でも いつか未来で拾って開くのは君なんだよ」という諭すようなところの方が光っているように感じた。
ゴッチの歌い方のニュアンスが、当事者というよりも俯瞰するような感じに変わったのかもしれない。
- 日坂ダウンヒル
咳払いからギターフレーズまでがっつりweezerの「El Scorcho」オマージュ曲。(原曲は咳払いじゃなくてうがいの音だけど)
Aメロのヘンテコなリフと、Bメロのうねるようなギターが、アスファルトから蜃気楼が上がりそうな茹だる暑さを連想させられる。
爽やかな印象の曲が多い本作だが、この曲が一番夏のじっとり感を感じるかもしれない。
- 七里ヶ浜スカイウォーク
バンドサウンドはシンプルなままだけれど、コーラスが丁寧にアップデートされている曲。
ハモリだけではなく、最後のオクターブ下のボーカルも加わったり、ボーカルの重なりが際立って聴いていて楽しい。
- 稲村ヶ崎ジェーン
アルバム一番のウキウキアップチューン。
2008年のがむしゃらさを感じるような雰囲気も良かったが、今回の丁寧な歌われ方もいい。
語感を重視しながらコミカルな歌詞が詰め込まれているので、ボーカルが丁寧になったことで「変な歌詞だとは思っていたけれど、こんなに変な歌詞だっけか」と驚いた。
喜多さんとの掛け合いパートが追加されたのも何だか嬉しいポイント。
- 極楽寺ハートブレイク
ですます調の歌詞ってどうしてもはっぴいえんどのイメージが強すぎるんだけど、この曲の「紫陽花は咲くのです」「サヨナラは来るのです」とかすごく自然にアジカンっぽく使われていて粋だなと思った。
何より歌い出しが「湿気ったライター 六月の雨の精 君が泣いたって 紫陽花は咲くのです」って、カッコ良すぎる。
この歌詞が展開されていくことで次第に紫陽花がサヨナラのシンボルに変化していく描き方もすごく綺麗だと思う。
- 長谷サンズ
weezerの「The Good Time」を彷彿とさせるような、変なギターとメロディ。
けれどやっぱりサビはアジカンらしく歌い上げる気持ちがいい曲。
「敬虔な祈りが空に届けばいいな」みたいな、あまり歌詞で聞かないような言い回しを自然に歌うのがゴッチは本当に上手い。
- 由比ヶ浜カイト
潔く短いサビがかっこいい名曲。
「鵠沼サーフ」のようにこの曲も中盤で脱線してギターで好き放題やる。
なのに嘘みたいに歌に戻ってくるから笑ってしまう。
今回の再録で最後のサビでのコーラスが厚くなって最後の大団円感が増した。
この曲から3曲かけてこのアルバムのエンドロールを流していくようなイメージだ。
- 和田塚ワンダーズ
この曲はアルバムで描かれた多くの青春の風景を振り返っていくような曲だ。
「派手に泣いていいぜ」とか「どうか海に投げ捨てないで」あたりの歌詞は「腰越クライベイビー」
「坂道を下って」とかは「日坂ダウンヒル」
「いつかの少年」は「鵠沼サーフ」
「秋の風になって」は「柳小路パラレルユニバース」
それぞれの曲をちらつかせるような歌詞が散りばめられている。
「いつの間にか老けてしまうのよ」とまでハッキリとゴッチは歌ってくれる。
改めてこのアルバムが15年を経て完成版になったことを感じさせられる。
- 鎌倉グッドバイ
最後の最後を締めてくれるのに相応しい優しい曲。
アコースティックなバンドサウンドに、シンセなのか、空間エフェクトをかけたギターのバイオリン奏法なのか、フワーンという音が入っているのが気持ち良い。
ドラムもタイトな響きになっていて、全体的に上品な間で曲が穏やかに進んでいく。
「夜が来たよ さよなら旅の人」と歌詞で締めて、フワーンという音が儚く鳴ってアルバムは終わる。
映画のエンドロールを最後まで見届けたような感覚を演出してくれるいい締め方だ。