前回は完全版としてリリースされたASIAN KUNG-FU GENERATIONの『サーフブンガクカマクラ』を新旧聴き比べ続ける一週間を送った。
苦行のような気持ちで始めた一週間ヘビロテシリーズだが、思ったよりもずっと楽しい期間が続いている。
ここでそろそろ本当に苦行のようなアルバムを選んで聴き続けてみようかと思う。
本当に失礼な話だが、今回選んだ"おそらく苦行になるであろうアルバム"は岡村靖幸の『家庭教師』だ。
岡村靖幸『家庭教師』
岡村靖幸の代表作として必ず挙げられる名盤だ。
ジャケットデザインや、名前自体は前々からチラチラと聴いていたが、実際はどんなもんなんだと初めて手に取った時は衝撃だった。
怖かった。
バブル期を思わせるようなアグレッシブさに振り落とされそうになったし、"色気"と評するにはあまりにも下品な、ねっとりとした妖艶さには嫌悪感すらあった。
けれども今まで聞いてきた音楽では触れられた事のない場所へ侵食してきたような感動もあった。
なんで岡村靖幸は気持ち悪いのにかっこいいのだろうか。
一週間じっくりとその気持ち悪さにも、かっこよさにも向き合っていきたいと思う。
岡村靖幸とは
1965年生まれのシンガーソングライター。
「岡村ちゃん」という愛称で呼ばれ、バブル期には王子様のような人気を博した。
尾崎豊との交友関係も有名で、二人で肩を組みながらステージで共に歌っている映像なども残っている。
表舞台に立つ前から作曲家として活動していたが、1986年(当時21歳)に「Out of Blue」デビューし、早熟の天才として大ヒットした。
プリンスを彷彿とさせる異質なポップセンスと、本人の高い演奏能力によって発揮されるファンク感はJ-POPの中でも唯一無二の存在感を持っている。
また「気持ち悪い」とも「カッコいい」とも言われる、剥き出しの歌詞、そしてそれを歌い上げるアクの強い歌唱方法も彼の魅力の一つだ。
しかし2003年初頭に覚醒剤取締法違反で逮捕され、石野卓球とのコラボシングルや新アルバムの発売が頓挫するなどの騒動があり一時活動を休止。
その後活動を再開したが、数年後にまた薬物関係での逮捕、その後活動再開、そしてまた逮捕…と同じ事態が重なり、音楽レーベルからの退所、ファンクラブの解散などファンには嘆かわしい事が続く。
活動再開のステージと実刑期間を行き来し続け、2010年頃からようやく活動が安定し始める。
それ以降はBaseBallBearの小出祐介とのコラボ『愛はおしゃれじゃない』や、DAOKOとのコラボ『ステップアップLOVE』、KICK THE CAN CREWとのコラボ『住所』など、多くのミュージシャンと共に楽曲を手がけて活躍をしている。
イケイケの王子様のようだったビジュアルも、薬物騒動からの完全復帰後からは大きく変化し、眼鏡を掛けたサラリーマンのような風貌で活動している。
『家庭教師』とは
アルバム『家庭教師』は1990年に発売された、岡村靖幸の4枚目のアルバム。
1st『yellow』や、2nd『DATE』などの初期は歌ものとしてのアプローチが強く、ファンビートで踊らせるような楽曲や、しっとり(むしろ"じっとり"かもしれない)と聴かせるバラード曲が多かった。
3rd『靖幸』からはバンドサウンドだけではなく、打ち込みなども多用するような楽曲作りに段々と傾倒していく。
そしてこの時期からアルバムのセルフプロデュースを行ったり、全ての楽曲の作詞作曲だけでなく演奏までもこなしはじめる。
本作『家庭教師』も3rd『靖幸』と同様に、全ての楽曲の作詞、作曲、編曲を岡村靖幸本人が行なっている。
レコーディングも「ステップUP↑」のドラム演奏などの一部を除いて、ほとんど本人による演奏である。
サンプリング音源や子供のコーラス、セリフの多用は前作『靖幸』からも目立っていたが、その方向性でアクセルをガン踏みしたような吹っ切れた仕上がりになっている本作は、多くの場所で名盤として語られる。
とてもアクの強いタイプのミュージシャンである岡村靖幸だが、セルフプロデュース能力や一人で楽曲制作を完結させられる音楽家としての地肩の強さからか、アルバムでは曲単体で聴くよりもより"岡村靖幸濃度"が圧縮された作品が多い。
『家庭教師』収録曲
- どぉなっちゃってんだよ
- カルアミルク
- (E)na
- 家庭教師
- あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう
- 祈りの季節
- ビスケットLOVE
- ステップUP↑
- ペンション
1日目
事務所でもずっと流しながら作業をしていたら、隣のメンバーに「熱の時に見る夢みたいだ」と言われた。ごめんなさい。
「ビスケットLove」は子供のコーラスで「ぶーぶーしゃか」「おーいえ〜」「すごいすご〜い」などと絶え間なく入ってくる感じが確かに悪夢みたいだ。
それに対して女性ボーカルとの掛け合いや歌詞の内容はネットりとした色恋沙汰を描いている。そのギャップがこの曲のジレンマ感を怪しく演出していて、元気な雰囲気な曲なのに何だか不気味だ。
パンチの強い打ち込みのビートであったり、ブリブリのファンク感溢れるベースであったり、印象的なサンプリングフレーズであったり…
何だかてんこ盛りの曲がこんなに多いのに、これが一つのアルバムとしてきちんと纏まっている凄さを実感させられる。
9曲収録のアルバムだけれど、これがあと2,3曲多かったらしんどかったかもしれない。
2日目
やっぱり岡村靖幸といえば「モノマネしてください」と言わんばかりのクセのある歌い方だ。
誰かが真似すれば完全にギャグになってしまいそうな"もっちゃり"とした歌い方や、がなるような極端すぎるメリハリ、カスカスのファルセット、そして謎のネイティブ風の英語発音(メンション)などを完全に自分のモノとして確率している。
和製プリンスと称されるこのスタイルは、無茶苦茶影響を前面に押し出しているけれど、これを日本語でやっているかっこよさがしっかりとある。
歌詞で描かれるのも猛烈な愛情であったり、うまくいかない大人の恋のジレンマであったり、ませた青春であったり、様々な恋模様を剥き出しで吐露するものが多い。
こんなにキスやセックスやらに直接言及するのに、パンクというほど下品でもなく、官能的というほどいやらしい訳でもなく、どこか溌剌とした潔ささえあるのも岡村靖幸の強みなのかもしれない。
また、一曲目の「どぉなっちゃってんだよ」で差し込まれるセリフ「週刊誌に書いてある俺のことは全部嘘だぜ!」とか、「ステップUP↑」での「有名な僕だけど指差すな 柔軟剤買ってる時くらい」という歌詞とかもかなり異質だ。
ラブストーリーを描いたりするような曲は大抵架空の物語を設定して、そこにリスナーが自己投影するというような構図が多いが、彼の曲は完全に"岡村靖幸本人対リスナー"というタイマンでの構図に感じるような描き方が多い。
架空の"ぼく"ではなく、岡村靖幸自身としての"ぼく"が赤裸々に暴れ回っている。
彼の曲の持つ"やかましさ"に嫌な感じがしないのは、もしかしたらその正々堂々と自分を表に出すスタイルの潔さからかもしれない。
3日目
「E(na)」は「カッコイーナ」と読む。なんだそれ。
イントロの印象的な「ナーナーカナーカナーカ ナーカナーカナー♫」というコーラスは、プリンスの「America」という曲の22分近くある12インチシングルバージョンから引用されている。
11分過ぎたあたりで数秒だけ流れるコーラスなのだけれど、なんでこんな変なところから引用してるんだよ。
こんな具合に、このアルバムは顕著にプリンスへのリスペクトを節々で直接的に出してきている。
プリンスのアルバム『Graffiti Bridge』や『The Gold Experience』を初めて聞いた時は、あまりにも岡村靖幸のイメージそのままで笑ってしまったくらいだ。
サウンドの傾向から、SEのように四方八方から流れるシャウトやセリフ、色っぽい吐息、そしてベースラインからギターフレーズまで、どれも「これが元ネタだったのか」と納得できるほど近いものを感じる。
プリンスもプリンスで映画『オズの魔法使い』で兵隊が歌っていた曲のフレーズを引用したり、フィッシュボーンの楽曲からシャウトを切り取っておもちゃみたいにループさせたり(そしてさらにその「Billy Jack Bitch」というプリンスの曲から岡村靖幸はギターフレーズをほぼそのまま拝借したりしている)と色々しているので、特にこの畑では珍しい話ではない。
しかしただのプリンスのパクリや過剰なオマージュとまではいかないような作りにしっかり仕上げているのが岡村靖幸だ。
前述したように、これに日本語を載せて歌い上げるためにJ-POP的な構成に仕上げたり、その上で英語風に韻を踏んだりと、岡村靖幸なりのエッセンスが色濃く出ている。
歌詞でも「借金の返済日」というキーワードや、他の曲でも「送金だって30万も毎月じゃパパ可哀想」だとかを入れたり、J-POPのラブソングに経済事情とかも書くのって他のミュージシャンではあまり聞かない気がする。
金はないけど愛してるぜ!みたいな、パンクっぽいやぶれかぶれな感じではない。
生活の中で抱える多くのジレンマと共に恋愛にも奮闘するような真剣さがどこかある感触だ。
4日目
アイドル的な人気を手にしていた岡村靖幸だが、一昔前までのアイドル像でよくあるような王子様像的なアプローチの一辺倒ではないところも彼のかっこよさだ。
楽曲として魅力はもう十分身に染みているのだけれど、彼はステージのパフォーマンスもとても評判がいい。
それこそプリンスよろしくキビキビ踊る。
笑ってしまうくらいチョコマカ踊る。
踊り出したくなるような曲とか以前に本人が一番踊ってる。
ライブの始まり方、カッコ良すぎるだろ。
「ぶーしゃからか」とか「たぶん23才」とかは、このアルバムからの引用されて最近の曲でも同じフレーズが使われているのがわかる。
キラキラしたシンガーとしてもステージを沸かして、ダンスでも他のステージのダンサーに引けを取らないくらいバキバキに踊って、なんならギターを弾いたりドラムを弾いたりもしてしまう。
どれもプリンス由来といってしまえばそうなのだけれど、それをこれほどのクオリティで実際にやってのけるのは、もはやもうただのモノマネやパクリという域ではない。
しかし、そんななんでもこなす彼のイメージに反して、一曲目の「どぉなっちゃってんだよ」は何だかニヒルな雰囲気が強い。
俺なんかもっと頑張ればきっと 女なんかジャンジャンモテまくり
やっぱマニュアル通りに見つめてそんでもって マンション マンションどぉなっちゃってんだよ 人生頑張ってんだよ
「どぉなっちゃってんだよ」作詞:岡村靖幸
一生懸命って素敵そうじゃん
どぉなっちゃってんだよ 人生頑張ってんだよ
ベランダ立って胸を張れ
なんともダサい人物像だ。
俺だってみんながやってるように本気出せば女もマンションも手にできるんだぜと嘯きながらも「一生懸命」を俯瞰して見ている感じが何だか虚しい。
頑張っているはずなのに、何故だかどうしてうまくいっていない。
なんせ胸を張る場所もベランダしかない。
「(E)na」でも女の子に見栄を張って嵩んだ借金に奮闘する姿が描かれたりしている。
こんな情けなさを全面に出した歌詞を、こんなにも吹っ切れた曲調に載せて歌っているのもニクい。
モテモテな曲ももちろん書いている彼だが、こういったダサさもしっかり炙り出しているのが、人間味を感じさせてくれる良さなのかもしれない。
5日目
ほとんど一人で音楽制作を完結できるほどのスキルを持った岡村靖幸だが、このアルバムを繰り返し聞いていると、打ち込みと生楽器の織り交ぜ方のバランス感覚がえげつないプレイヤーなのだなと痛感させられる。
ほぼ自身の演奏で録音をすることもできるが、一部の曲では打ち込みでも自身のドラムでもなく、しっかりとドラマーに生ドラムを入れてもらうなどのこだわりが現れている。
その曲ごとに異なるバンド構成で展開されるというよりも、各曲の展開する瞬間ごとにバンドが構成されているような感触とでも言えばいいんだろうか…
『家庭教師』リリース当時のライブの映像を見ても、このごちゃ混ぜのパレード感とゴージャスなコンサート感を確認できる。
どこからともなくブラス隊やマーチングバンドが飛び込んできたり、急に女性ボーカルやSEが入り込んできたり、突飛な(隣人曰く悪夢のような)音の展開のおかげで、バンドサウンドの全体像を掴みきれないワクワク感がある。
あと普通はもっと遠くで(小さい音量で)鳴っていそうな合いの手的な掛け声やシャウトなどが、なんだか無茶苦茶"近い"感じがする。
なんというか、近いし多い。『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』って岡村靖幸のこと指しているんじゃないか。
普通のJ-POPだったらこのレイヤー順じゃないだろっていう音が、最前層に来ているような仰々しさだ。
彼の楽曲やパフォーマンスから滲み出る全身全霊の剥き出し感は、こういった音のレイヤー順も要因の一つだったとしたら面白い。
6日目
掛け声やシャウトの多さややかましさについて触れていたが、やっぱり多い。多過ぎる。
黙ると死んでしまうのだろうかというくらいに、間奏では基本何かを喋ったり喚いたりしている。
改めてこのアルバムの歌詞を見てみると、曲の2/3くらいですでに歌詞自体は全て歌い終わっていたりする。
じゃあ歌詞を歌い切ったあとは何をしているのか。
ずっと喋ってる。
「ハゥア~オゥイェ」とか「シャケナゥ!!」とか「ブーー!!」とか「ウォヘナハァーーーー!!!」とか言い続けている。
ライブでの演出とかならわかるんだけども、音源でこんなにずっとなんか言ってることあるんだ。
サンボマスターでも音源だったらもうちょっと大人しいぞ。
「どぉなっちゃってんだよ」や「ビスケットLove」とかに至っては後半はほぼセリフだ。
リスナーに向かってのコールアンドレスポンスを永遠に繰り返すものもあれば、謎の人物と寸劇を始めたりもする。
勝手に進めすぎだろと思うくらいに既に世界が出来上がってしまっている。
かと思えば「日本は子沢山の家族の減少による高齢化社会なの?」とか急に言い出す。
無茶苦茶びっくりする。どうしたんだよ。
さっきまで「あの娘ぼくがロングシュートきめたらどんな顔するだろう」でキラキラの青春を歌っていたのに、その次の曲「祈りの季節」でそんなことを歌い始めるので笑ってしまう。
青春を密封保存していたのかと思うくらいキラキラしたラブソングや、大人の恋のジレンマなどを描くことがとても多かった岡村靖幸だが、このアルバムからは社会背景などを具体的に曲に取り入れ始めている。
バブル期真っ只中に出されたアルバムとしても、それがひしひしと実感することができる楽しさがある。
7日目
岡村靖幸といえば最近では「ぶーしゃかLOOP」のイメージの人もいるかもしれない。
3rdの『靖幸』あたりから岡村靖幸が勝手に言い始めた謎言語である「ぶーしゃからか」だが、すっかりお馴染みのフレーズみたいな扱いになっていて笑ってしまう。
『家庭教師』のツアー映像でも「みんなぶーしゃか行くよ!」と観客に合唱を求めるシーンがある。
「ぶーしゃか行くよ」じゃないんだよ。勝手に作った言葉だろ。
本作の中でもよく「ブーーー!!」と言っているところがあるけれど、これもプリンス由来でやっているのだろうか。
もしそうだとしたらおそらく元ネタは「(E)na」のイントロの引用元としても触れた「America」という曲からだろう。
そうだとすると、この曲の「Boo!!」という部分は爆弾が落とされる音を歌っているので、さすがにこれは絶対に語感だけでやっている。
他にも英語のフレーズを早口で言っているのかな?というような掛け声(シャキナベイベ的なもの)が多かったりする。
多分そんなノリで間を埋める言葉として、ノるために発している音としての意味合いでやっていそうだ。
けれど「(E)na」で歌い上げている「ひとりぼっちじゃボバンボン 二人じゃなくちゃボバンボン」は本当によくわからない。
「キューティーハニー」の「だってだってだって だってだってなんだもん」よりもちゃんとわからない。
意味のない掛け声かと思ったら、文脈的に「ボバンボン」に意味がありそうな感じを出してくるからびっくりする。
なんなんだよ、ボバンボンって。
「カルアミルク」「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」「ペンション」みたいに抜群に聴きやすい曲があるけれど、実際はそれを除く2/3の楽曲は、ほとんど「何をやってるんだよ」「何を言っているんだ」となる曲で構成されているのがこのアルバムだ。
普遍的なラブソングや青春ソングをバッチリ書いてくることもあるけれど、このアルバムから岡村靖幸はJ-POPの皮を脱いで、謎の掛け声と共に、より容赦無く"剥き出し"に大暴れすることになるのが納得できる。
まとめ/全曲レビュー
今までの一週間レビューは、聴けば聴くほどどんどんと「こういうかっこよさもあったんだな」という発見だったり、「自分が感じていたかっこよさってこういうことだったのかもしれないな」と感覚の形を掴めていったりと、深くに潜っていけるような楽しさがあった。
けれど今回はちょっと違う感触だ。
前半こそ真剣に岡村靖幸の魅力について潜っていこうとすることができたが、後半になってくると「なんなんだよこの人」というメタ的な面白さがじわじわと目立ってきてしまって、今までとは全然違うベクトルで楽しくなってきてしまった。
それはそれで全然いいのだけれども。
一週間聴き込んだことで、ヘビロテ期間終了後は他のアルバムであったり、プリンスの楽曲を改めて大量に聞いたりする楽しみも生まれたりした。
「あの曲は多分これが元ネタかな」というぼんやりとした記憶から記事を書いたりしていたが、縛り期間後にプリンスを聴くと、記憶の3倍くらい岡村靖幸のサウンドの原点みたいなものが散らばっていて、それもそれでイースターエッグ探しみたいなワクワクを味わうことができた。
同時にプリンスの曲のかっこよさにも改めて痺れた。
そりゃ影響受けるよね。こんなミュージシャン。
あくまで今回の記事は岡村靖幸の『家庭教師』を一週間聴くという趣旨なので、プリンスについて長々と書くつもりはないが、この企画を通して岡村靖幸だけではなくプリンスまでさらに好きなれたのは何だかお得な気分だ。
ちなみにだが、もちろん私は現在の岡村靖幸の活動も大好きだ。
色々とあったが、そのミュージシャンとしての異質な存在感はそのままに、コラボをした時に誰と並んでもいいメリハリを生んでくれるのはやはり流石だと毎回感動している。
薬、だめ、絶対。
四度目の逮捕はなく、ずっと岡村靖幸の音楽が聴き続けられたらいいなと願う。
それでは最後に、この一週間聴き続けていった上でのそれぞれの曲の印象を最後に少しづつ書いて終わろうと思う。
- どぉなっちゃってんだよ
「カルアミルク」と「あの娘〜」目当てで手に取ったアルバムだったのに、初めて聞いた時のこの曲が始まり「入る店間違えたか…?」というような感覚を抱いたのが懐かしい。
有名なその2曲を控えながらも、このアルバムを代表するような楽曲として存在感をブイブイと放っている。
バブル社会で華々しく生活が盛り上がっている周りに対して、ニヒルに強がる情けない男を炙り出すような歌詞だが、だんだんと後半の歌詞からは岡村靖幸本人がバリバリと出てくるような、そんな派手で長過ぎるアウトロにどんどん引き込まれていく。
- カルアミルク
以前の楽曲で描かれていた青春の主人公が、ちょっぴり大人になって噛み締めているような、手遅れの恋のエピローグ。
一曲目であんな異様な曲を出してきたのに、シンプルにいい曲を次に出してくる。
「ビデオ」「ファミコン」「ディスコ」など、バブル時代の風景が見えるようなアイテムが散りばめられている歌詞も魅力的だ。
「どぉなっちゃってんだよ」では"一生懸命"に本気を出せずモテたり成功することの出来ない男が描かれていたが、この曲では"マニュアル通り"でモテはするけれど、もう本命の相手に対しては再起不能の恋を抱えたまま悶々とするだけの男が主人公になっている。
「会いに行くよ」とかはもう言えるような状態ではなく「電話をかけてきてよ、会いにきてよ」としか言えない情けなさが切ない。
この強がりを直接な強がりとして描かない遠回りな描写は、やっぱり岡村靖幸の歌詞の上手さだと思う。
- (E)na
バブリーな空気漂う、悪夢みたいなごった煮の展開が目まぐるしい曲。
無茶苦茶プリンスへのオマージュというかリスペクトが前面に出ている。
なんでも欲しがる女の子に見栄を張ろうと奮闘する結果、借金の返済に追われてギャンブルにまですがる男の情けなさがここでは描かれている。
本当に僕が与えられるのはブランド品じゃなくて愛情なんだと嘆くような歌詞が、なんともから回っているような虚しさがある。
曲自体もその奮闘が感じられるような、しっちゃかめっちゃかな音の多さだ。
急かすようなブラス隊や、SEの嵐。
プリンスからの直接的な引用はありながらも、それ以上に岡村節が曲の印象を上塗りしているかっこいい曲だ。
- 家庭教師
歌い出しが「たぶん23才…」ってどんな曲だよ。
ポップで騒がしい曲から打って変わって、彼の弾くアコギのかっこよさが全面的に出ている怪しげな曲。
ボンボンのエリ子(本当に誰なんだよ)に振り回されながら、なんとか彼女を魅了しようとする妖艶な歌詞だ。
家庭教師というキーワードからも連想されるような距離感と駆け引きみたいなものを想像して聴き進めていけば、気づいたら岡村劇場が始まって「手相を見てあげる、手出して、両方」とかセクハラが始まったりして笑ってしまう。
ここまでは曲調の緩急はありながらも、なんだかんだ葛藤と情けなさを抱えた男の話をしていたのに、無茶苦茶何かやらかしそうじゃないかと焦る。
- あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう
そう思っていたら青春純度100%みたいな曲が爽やかに始まる。
ポップソングど真ん中の明るい展開に、キラキラした眩しい青春。
家庭教師はどこにいったんだよと思うくらいに湿度がなくなった。
タイトルにこそ青臭い恋心を添えているけれども、歌詞で描かれるストーリーとしては部活の眩しい記憶や、その故郷との別れで恋愛を主軸に据えている感じは強くないのが意外だ。
案外こういった曲調や歌詞の書き方で恋愛についてあまり言及しないのは珍しい曲だったりする。
- 祈りの季節
曲の歌詞としては今も昔も見ないような、バキバキに社会背景に触れていく曲。
あくまで主題は忘れられない恋の話なのだけれども、それがさらにこの社会で生きていくことへの不安まで膨れ上がっていくような感覚はむしろすごく現代的な気がする。
LOVEとKISSとSEXを高らかに歌っていた彼が「セックスしたって赤ん坊より自分が愛しいんでしょ」嘆いているのは、どこか青春の終わりを感じる。
キラキラした青春ソングを直前まで歌っていたけれども、もうまっさらで純情なラブソングだけ歌ってらんないよ、という息苦しさと、なんともじっとりとした性欲が伝わってくるような湿度が高い曲だ。
- ビスケットLOVE
そんな大人の恋と社会の事情みたいなことを嘆いたと思ったら、学校をサボってすけべな先輩に誘惑される妄想劇場のような曲が始まる。
振り回されっぱなしだ。
この女性ボーカルは誰なんだよ。
けれどもこの主人公も好きな女性と肉体的な繋がりを得ても、心までは通じ合えていない虚しさを抱えている。
こんなませた恋の話をしているのに、後ろでは子供のコーラスで「すごいすご〜い」と煽られるのが無茶苦茶サイケだ。
後半はその隙間を埋めようと怒涛のアプローチをするが、返答は「Sex」だけ。
そりゃ「え?」ってなるよね。
- ステップUP↑
ブラスバンドが切り裂くような開幕を告げるアップテンポでかっこいい曲。
のちにDAOKOと「ステップアップLOVE」を出すことを知っている今聞くと「この時期からすでにステップアップしたがってたんだ」と笑ってしまう。
演奏もこれは打ち込みではなく生のドラムをドラマーに叩いてもらっているようだ。
「ビスケットLove」のDAW感から、一気にスタジオ収録感溢れる開放感が発散される曲順も印象的。
歌詞がすこぶる面白い。
サビも「現社と倫国 学びたい」ってどんな歌だよ。
明らかに主人公は設定された物語というよりも岡村靖幸本人が語り手とされているような雰囲気だ。
出鱈目で語感重視の曲のようにも聞こえるけれど、「びしょ濡れでいいじゃない 手を繋いで歩きたい」は雨の中なのか、緊張による汗なのか、どちらにせよ何だか眩しくて美しい描写だと思う。
- ペンション
ここまであんなに大きなパレードを引き連れていたような感じだったのに、最後はリスナーに向けて一対一で語りかけるような曲で締める。
こんな純情でヤキモキするような距離感を「仇名から『さん』付け呼びへの距離を測れない」と描き出しているのはやっぱりすごい。
ここでも自分を平凡で悲しいと嘆く。
ここまでどの男もまっすぐ眩しい姿を見せてくれたのは「あの娘〜」くらいだったかもしれない。
「あの娘〜」はかつての話のようなポジションだとすると、現在を生きる男たちは皆情けなくも何かに奮闘しながら恋に勤しんでいるような、そんな描かれ方をしているような気がする。
何も手にできなくても、好きな子とだけはうまくいかなくても、お金がなくても、下心があっても、口下手でも、そんなダサさや情けなさをも内包して恋を描いてくれる。
それが岡村靖幸のかっこよさなのかもしれない。