思弁逃避行

[#01]のこり0.5% -思弁逃避行-

2022年11月30日

炒飯の話である。

誰しもが一度は食べた事があり、また戦った事のある、あの炒飯の話だ。

店で食べる炒飯にはおおよそ欠点というものがない。
他に何を注文していても、ご飯ものとしてちょっと欲しくなる。
逆に炒飯だけをメインでかっこむなんていうのも素敵だ。
中華料理屋の炒飯はだいたいが美味い。そして割と安い。しかも腹もふくれる。素晴らしいの一言だ。

しかしそんな炒飯にも手のほどこしようのない欠点がある。

「ごちそうさま」が一向に出来ないのである。

ご存知の通り、炒飯は残りが5%を切ると途端に戦いが始まってしまう。
お米を一粒も残すまい!と意気込んで炒飯を掬い取ろうとしても全くうまくいかないのだ。

そもそもなぜ彼らはあんなにパラパラな炒飯を作っておきながら、決まって平たい皿に盛られるのだろうか。
少しでも側面が迫り上がっている皿に盛られていたら、そこに押しつけるようにグイッとまとめられるというのに。
けれど目の前にあるのはフリスビーさながらの平たい皿。
こんなん掬いきれないにきまっているではないか。

この戦いは一切終わりの気配を見せない。
だが私は皿からこぼすことなく炒飯を掬いきらなければならない。
華麗に、軽やかに、すいっと。

まずは一旦炒飯をひとかたまりに寄せる。
そしてそれに向けてレンゲを滑らせる。
すると炒飯ははらはらと崩れ、レンゲから逃げていく。
もちろん数粒程度ならばレンゲの中に炒飯を捉えられてはいるが、こんな量をチマチマと口に運んだところでそれは果たして食事と言えるのだろうか。

一度お茶を飲む。

もう一度やりなおそう。

そんな事を何度もくり返すうち、次第に皿さえも炒飯をこぼさせるまいと横へ横へと伸びていくような錯覚を覚える。
そしたら私もカニ歩きで炒飯を追い続ける。横へ横へと。
皿に口をつけて直接かっこむだなんて反則じみた真似は決してできないのだ。

なんだか小学生の頃の掃除の時間を思い出す。
ちりとりが終わらないあの時だ。

ほうきで埃をちりとる。
それだけのはずが終わらない。
ちりとってもちりとっても埃は床とちりとりの境界に一本、埃の線を残す。
そのためどんどん後退していく。
気がつけば自分は教室のハジまで来ている。

あの時のかんじだ、とカニ歩きで炒飯を追いながら思う。

そういえばこんな風に永遠に後退していたあの時、ふと同級生を見てみると、奴らはその線を足ではらい早々に掃除を終わらせていた。
私の後退はなんだったのか。
泣きそうになる。なんなら少し泣いたような気もする。

そんな事に想いをはせながらも炒飯を追っていると、向こう側から知らぬレンゲが滑ってくる気がした。
そのレンゲは私の5%の炒飯をすいっと掬いきってみせた。
顔を上げると、目の前には私の炒飯を頬張る中国人がいた。
私は炒飯を追って横へ横へと歩き続けたせいで、本場中国まで来てしまったのか。
カニ歩きで。

「ラストオーダーですけどダイジョブですか?」

片言混じりの店員の声掛けでハッとする。

私は万里の長城が如く伸びる皿と本場の中国人の幻を振り払い、再びレンゲを握る。
まだまだ戦いは終わらない。

やはり本場の人はすごい。あの炒飯を華麗に、軽やかに、すいっと掬ってみせるのだから。

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