馬刺しが好きだ。
なぜか。
そりゃうまいからだ。それなので馬刺しを食べるわけだ。
そうして注文するたびに思うのだが、いつも馬刺しはこぢんまりとしたお皿にお上品にのってやってくる。
なぜあの「もうちょっとだけ食べたいな…」と思わせる量でしか出してくれないのだろうか。
「もっとたくさん食べたい!」ではない。
あくまで「もうちょっとだけ」なのだ。
「ちょうど昨日の分余ってたから、ちょっとつまんでみてよ」と言ったような量しかない。
モリモリ食べさせてよ。
値段のせいだろうという正論を挟んでくる輩もいるだろうが、そういう話ではない。
もしそうならもう少し値段が高くてもいいから、その「もうちょっとだけ」分を増やして欲しいくらいだ。
他の贅沢なものといえば、しっかり払えばしっかり量も食べられるというのに、馬刺しはそこの調整をしてくれるツマミがイカれてしまっているのだ。
実際に他の贅沢なものを挙げて考えてみるとどうだ。
寿司。
おなかいっぱい食べられる。
寿司も質の話をすればピンからキリまであるが、それでも寿司を食べるという行為に関しては、比較的手軽に満足できる。
なんなら皆が満腹にやられ、手をつけられず表面がみるみると乾いてゆく寿司を私は数多く見てきた。
他にも挙げてみよう。
焼肉。
それはもうおなかいっぱい食べられる。
むしろ腹に余裕をのこした状態で焼肉屋から家路に着いたことはないくらいだ。
調子に乗って網に乗せすぎて、みるみるとただの炭と化していく肉を私は数多く見てきた。
要は少し値の張る贅沢なものだから、というような単純な話ではないのだ。
馬刺しを満足できる丁度いい量で提供してくれるシステムが現在おおよそ組み上がっていないのだ。
では逆に馬刺しと似て非なる位置にあるものは一体なんなのか。
これに至ってはすでに答えが出ている。
ファミチキ。
あれは二個いかない。なんかいけない。
馬刺し同様に「もう一個くらい食べたいな…」とは一瞬思わせてくるものの、実際にもう一個食べるようなそんなはしたない真似は誰もしない。
つまり、馬刺しが「もうちょっとだけ欲しい不足感を催す食べ物」だとすれば、ファミチキはそれに対抗する「もうちょっと欲しいが満足感を催す食べ物」なのである。
何の話だ。
つまり、なんだ、あの絶妙な量も含めて馬刺しなのだ。
なんならあの絶妙な量をもってこそ馬刺しを馬刺したらしめるのだ。
魅力的な人は「次また会いたいな」というタイミングでデートを切り上げるという。
つまり私は店ぐるみですっかり馬刺しに魅せられてしまっているのである。
なので私はその「もうちょっとの足りなさ」を含めて馬刺しを愛すしかないのである。