思弁逃避行

[#06]麻婆豆腐実践 -思弁逃避行-

2022年12月15日

中華料理を食べにいくと、100%の確率で口の中を火傷してしまう。

口内でべろりと捲れた薄皮を舌で慰めながら私はレンゲを握っていた。

麻婆豆腐は驚異の保温性を誇る。
凶悪なほどの熱さだ。その上辛さも持ち合わせているため、他の料理に比べより一層ダメージが深い。

なぜ我々はそんな麻婆豆腐を食べるのか。

無論、美味いからである。

この幸福と苦痛が隣り合わせの中華料理こと麻婆豆腐。
本場の人たちは一体どうやって安全に食事をとっているのだろうか。

まさか待っているのか。
冷めるのを。

豆腐をほぐしては待ち、掬い上げては待ち、息を吹きかけては待つ。
ここで皆と小話を挟んでひとしきり盛り上がる。
そして話にオチがついたあたり、ひと息ついて口に運ぶ。

安全である。

しかしそれは果たして美味いのか。
しかもなんて忍耐力だ。その待ち時間を我慢できるのか。

やはり料理はあつあつの方が嬉しい。
冷めている方が美味しいという料理はあるのだろうか。

冷製スープというものもあるが、私にとってスープはあつあつに越した事はない。
なぜ冷やす。
もし仮に冷製ハンバーグなどというものが提案されようものなら私はそいつの頭を引っ叩くだろう。
それが中華料理ともなれば尚更である。

つまり私は麻婆豆腐を効率よく冷ます方法を知りたいのではない。
あつあつのまま美味しく安全にいただく方法を知りたいのだ。

そんなことを考えていると、ふと小学生の頃を思い出す。
チーズ味のお菓子だ。

チーズ味のお菓子は世に数多く出ているが、おおよそ全てがくさい。
チーズくさい、というよりも、チーズ味のお菓子くさい。
独自のくささだ。これがなんとも耐え難い。
しかしお菓子自体はしっかり美味いのだ。たちが悪い。
これが不味いのであれば手に取らずに済む。
なぜなら不味いしくさいからだ。
だというのに美味いため我々は手に取る事をやめられない。
くさかろうが美味いものは美味いのだ。

もしかすると、あのくささを耐えるからこそ、あの美味さに辿り着くことが許されるシステムなのだろうか。

つまり、同様に麻婆豆腐は火傷の痛みに耐えるからこその美味さということなのか。

幼い頃の歯磨き下手さゆえの虫歯。当時お菓子を食べることと虫歯はほとんどイコールであり、その二つはセットだった。
なるほど、麻婆豆腐も火傷をすることとセットだったのか。

いやだよ。

なにか対抗策を持っている方がいるのならば迅速に私に教えて欲しい。
私は今もなお中華料理屋の席でヘルプの信号を出している。

さて、やはり本場の人たちはすごい。
流石にそろそろレンゲのうえの豆腐が冷めた頃だろう。

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