思弁逃避行

[#07]並でよかった -思弁逃避行-

2022年12月18日

「ラーメンでも食べようかな…」

こんな事をのんびり思ったことはほとんど無いだろう。

何故ならラーメンへの食欲は常に衝動的。
そのほとんどが「うわ!ラーメン食べたい!」と言うスピード感でやってくる。
食券機の前に立つ以前の記憶が曖昧なことすらある。気づけば入店してしまっているものなのだ。

大体のラーメン屋は小盛、並盛り、大盛りなどとサイズを選べるようになっている。
さらにそこから特盛り、店によってはギガ盛りだなんて破格のサイズを用意しているところもある。

つまりどのラーメン屋も基本どんな状態で入店しても、お腹いっぱいになれるようにしてくれている。

ラーメン屋側も常識的な適量として並盛りを用意しているのだが、やはりラーメン屋に入店している時点で我々は「うわ!ラーメン食べたい!」という衝動に頭をやられてしまっているので、冷静な判断ができることなどほとんどない。

そりゃお腹いっぱいに食べたいに決まっている。

少しだけ考えつつも、結局大盛りのボタンを押す。

他でもない、お腹いっぱいになるためである。

そしてラーメンが届く。

ありがたいことに大体のラーメンはむちゃくちゃ美味い。
なのでどんどん食べてしまう。

この時の幸せは何事にも形容しがたい。

私は中太のちぢれ麺が好きだ。スープによく絡んでくれる。
具では海苔が一番好きだ。スープに浸ってでろでろになった海苔で麺を包んで頬張る。
海苔のトッピングを増やしただけで百円も取るところもあるが、それでも増やしてしまうくらいにはラーメンに浸った海苔を愛している。
チャーシューも店ごとに全然違うアプローチを見せてくれるので、初めていく店では毎回楽しみだ。

そしてそんな至福の時間も過ぎ、やがて器から具がなくなり、残るは麺とスープのみとなったあたりで気づく。

ちょっと多いな。

そう、ちょっと多いのだ。

なぜなのか。

自分はお腹いっぱいになりたかったのではないのか。
いや、お腹いっぱいになりたいという願望はしっかりと叶えられている。
ただ問題は叶うのがちょっと早すぎた。

店に入るときはラーメンなど二、三杯いけるくらいの気持ちであった。
餃子ならばざっと百個はいけるくらいの気持ちであった。
だというのになぜこんな半ばでお腹いっぱいになっているのか。

自分は今までの人生でいったい何度の食事をしてきたのか。
その回数を通してさえも自分にとっての適量を未だ理解できていないのか。

情けなくなる。

ラーメンを啜る。美味い。美味いのだ。

その美味さが悲しい。欲張った自分が恥ずかしい。

この後悔の中でもラーメンの美味さは揺らぐことなく器の中で圧倒的に存在し続けている。

それが悲しさをより一層際立たせる。

そんなことをラーメン屋に行くたびに繰り返している気がする。
なぜ学習できないのか。思えば私の今までの失敗はすべてこういったことの延長にある気がしてならない。
ラーメン屋で並を選ぶことができるようになったのなら、全てうまくいくのだろうか。

こんな後悔を噛み締めつつ、はち切れそうな腹をさすりながら店を出る。

こうして私はまた学ぶことができたのだ。
ラーメンの衝動は頭を緩くする。過去の経験から自らの適量を見定める冷静さが一番大切だ。

また一段賢くなった私は、きっと翌週券売機の前でけっこう悩み、「大盛り」を押すのだろう。

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