思弁逃避行

[#04]しりしりしらず -思弁逃避行-

2022年12月10日

にんじんしりしりという料理があるらしい。

にんじんを調理しながら、ふとそんなことを思い出した。
らしいというのも、どんなものなのかを全く知らないのだ。

名前はたまに聞くのだが、どんな風貌をした料理なのか皆目見当がつかない。

にんじんにいったい何をした。

思えば和食はその料理名から、何をどうしたものなのか想像しやすい。

"鮭の塩焼き"

じつに明快である。鮭を塩で焼いているのだ。

"里芋の煮っころがし"

里芋を煮て、ころがしているのだ。

"大根の炊いたん"

大根を炊いたのだ。

このように本来和食は、何の食材を煮たのか焼いたのか炊いたのか、と説明をしてくれる名前ばかりで非常にわかりやすい。

だというのになんなのだ。
にんじんしりしりとは。

「にんじん」と名前についているあたりから、人参というあの野菜になんかしらの手を加えた料理であることは間違いないだろう。
ということはおそらく"人参をしりしりしている料理"ということになってくる。
つまり、"しって"あるのか。人参を。
"しる"って何だ。どういう動詞だ。

もうなんだかさっぱり掴めないのだが、一旦他の道筋から考えてみるとしよう。

例えば「餅巾着」という料理がある。

あれは餅を入れた油揚げを巾着のようにこしらえたものだ。
この場合は「餅」を「巾着」のようにした料理という構成で「餅巾着」と名前がついている。

そうなると「にんじんしりしり」という名前は、おそらく「にんじん」を「しりしり」のようにしたものだ。
もしくは「しりしり」を「にんじん」のようにしたものである可能性が出てくるわけだ。

なるほど。

思っていた以上に何も見えてこない。

後者に至ってはしりしりも依然わからないし、"にんじんのようなもの"という更にわからないものが登場した。
なんなのだそれは。

完全に降参である。謎のものでこしらえたにんじん風の何かが出来上がってしまった。
たどりつける気がしない。

そんなことをしているうちに夕食の支度は終わり、食卓を前にうんうん唸る私がいた。

この件はまたゆっくり考えるとしよう。

私はすっかり冷めてしまった千切り人参と卵の炒め物に箸をつけることにした。

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