思弁逃避行

[#10]態度とカトラリー -思弁逃避行-

2023年1月4日

「あいつは人によって態度をコロコロ変える」

という言葉を揶揄として耳にすることが多々ある。
いうならば八方美人というやつだ。

良くない?
なんてったって八方も美人なのだ。
一方向でも美人だなんて羨ましいのに、八方も上手いことやっているならそれはもはや立派な技術である。

まるでそういったことをする人間は裏表がある底意地の悪い奴だとでも言っているようだ。
そりゃ二枚舌の立ち回りで手すりゴマすりとしていたら反感はかうだろうが、態度を使い分けることは媚を売ることとイコールにはならない。

パスタはスプーンでは食べない。プリンに箸は使わない。
パスタはフォークに絡めて、プリンはスプーンで掬うように、対象が変わればその都度どういった言動のカトラリーが一番ストレスなく対応できるのかを考え選ぶことの方がよっぽど賢いやり方ではないだろうか。

極稀にどんなものを相手にしても箸だけを器用に使う人もいる。
けれども、焼き鮭をスプーンでほじっては「これだから焼き鮭は食べずらいんだ」とぼやいているような輩がいたりもするから厄介だ。
きっと焼き鮭からしても迷惑な話だっただろう。
迅速に箸の持ち方を覚えていただきたい。

人との接し方をその対象ごとに切り替えられるというのは接する側、接してもらう側の双方にとってストレスが少なくて済む。

その中で言われている「優しさ」というものはきっと性格ではない。
「優しさ」というのはきっと、経験則と想像力によって育まれる技術だ。

そういえば中学の頃、プリンを箸で食べる阿呆がいた。
いったい彼は何がしたかったのだろうか。

スプーンという便利な道具があることを教えてやったが、俺はこっちの方が慣れてるからと意味のわからない見栄を張って頑なにスプーンで食べようとしなかった。少し押し問答になるくらいの頑なさだった。
全く意図がわからない。
彼に対して私はいったいどんな態度で挑めばよかったのか。
あの時の私は彼に対する優しさというカトラリーを持ち合わせていなかった。

彼は今もプリンを頑なにスプーンで食べているのだろうか。
そして彼の隣には、それをそっと肯定してくれるようなカトラリーを持ち合わせた人がいるのかもしれない。
なんて気の毒な技術者だろうか。

願わくば普通にスプーンでプリンを食べることを覚えいてほしい。

-思弁逃避行
-